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「生涯AV男優」を見た。 やっとの想いで見た。 そして今はカラッポになった。 自分なんかを見るなんて・・・やっぱり、こんなものだった。 この映画(8月19日の日記参照)を、僕は監督からもらったDVDで見た。 9月15日のアテネフランセでの上映会は、やっぱり行けなかった。 よりにもよって、その日に限って、AV男優の仕事が・・・。 だが、結果的に、皮肉なことに、僕はこの作品を雑多な観客の中、スクリーン上で見なくてよかった・・・のかもしれない、と今思う。 苦々しさと自虐を噛み締めながら、そんな風に納得する。 僕は、泣くと思っていたからだ。 スクリーンに晒された自分を前に、みっともなく、恥ずかしげもなく、僕はむせぶように涙する、と想像していたからだ。 丁度、あの映画を見ていた時のように。 今からもう10年前、僕が不倫していた頃のように・・・。 僕は当時付き合っていたその人妻と初めて映画に行った。 まだ二人は、肉体的には結ばれていなかった。 その映画は「失楽園」。 渡辺淳一原作で大ブームになった"不倫"映画だ。 その映画のラストシーン、僕は号泣した。 隣の人妻も周りの客も置き去りにして、僕は映画館の白ちゃけた椅子にしがみつくようにして、延々泣きじゃくっていた。 こんなセリフの中・・・。 「七歳の時、れんげ畑で迷子になったの。陽が暮れて心細かった」 「九歳の時、オヤジにグローブを買ってもらった。嬉しくてはめたまま寝た」 「十四歳の時、初めてストッキングをはいた。ローファーの中で足が滑ったわ」 「十七歳の時、ケネディ大統領暗殺。テレビに釘付けだった」 「二十五歳でお見合い結婚。お式の日は台風だったわ」 「二十七歳で長女が生まれた。仕事が忙しくて病院へも行けなかった」 「三十八歳、夏。あなたと出会って、愛し合った」 「五十歳、女に初めて溺れた」 「三十八歳、冬・・・あなたと、ずっと一緒にいる、永遠に・・・」 「永遠に・・・」 僕はこれらのやりとりを耳にしながら自分のこれまでの人生を雪崩のように追想した。 何かが無惨に崩れ落ちるみたいに、僕のこれまでの過去が、凄まじい勢いで僕の内部を瓦解して砕け散った。 七歳、九歳、十四歳、十七歳、二十五歳、二十七歳、三十八歳・・・。 僕は何をしてきた? 子供から大人になって、36年も生きてきて、今僕はどんな人間に辿り着いた? 僕にも無邪気な少年の頃があった。 瑞々しい青春の時期があった。 結婚してもおかしくない歳にもなった。 娘がいたっていい。 誰かと家庭を持ってもいい。 何より、当たり前の社会人に成長していても、全然おかしくない。それなのに・・・。 僕には何もない。 家庭も娘も、結婚も恋愛さえも、いや、そもそもごく普通の人生さえも、思い出さえも、足跡さえも・・・。 僕は何をしてきた? 僕の人生は一体何だったんだ?! 僕はまだ五十歳にも三十八歳にもなっていなかったのに、自分の人生はもう終わったと悟った。 何一つ人並みのことさえ成し遂げられないまま、後は死ぬだけ、そう、この心中する男女のように、いやたった一人で、誰も側にいてくれないまま、孤独と敗残に朽ちてしまうだけ・・・。 僕の不倫に愛はなかった。 少なくとも僕はその人妻を心から愛してはやれなかった。 ただ寂しかったから。 一人でいる時間がたまらなく空しく、そこから逃げ出したかったから。 そんな交わりしか僕にはなかった。 そんな現実しか僕の36年目の人生にはあり得なかった。 それがどうしようもなく悲しかったのだ。 慟哭しないではいられないほど、僕を奈落に突き落としてしまったのだ。 あれだけ泣いたのは人前であるなしに関係なく、それが最後だ。 今思えば、あの瞬間で僕は己の人生全ての希望を喪失してしまっていたのだ。 底無しの絶望を感じてしまった以上、もはや落ちるところまで落ちた虚無感だけが僕に残されているだけなのだった。 あれから10年。 僕は生きることに何の期待も切望もない。 愛も家庭も、確固たる仕事も、そして人生の証しも、軌跡も、僕は一切夢見る想いを枯らしてしまった。 僕はあの時、もう死んでいたのかもしれない。 今ここにいる僕は、ただの、まったくただの、息するだけの残滓なのかもしれない。 だが、そうすると僕は、この期に及んで自分の映画とやらを見せられても、やっぱり泣きはしなかったのかもしれない。 今さら自分の姿を、抜け殻でしかない自分という人間ごときを映像に刻まれたからといって・・・・。 わからない。 改めて己に、情けないだけのクズな人生に、涙したかもしれないし、それとも・・・。 しかしとにかく僕は結果としてこのドキュメントを自分の部屋で一人で見たのだ。 10年前の予感どおりに、やっぱり一人で、誰もいない狭い部屋で・・・。 そしてどうなったかと白状すれば・・・・・僕は唾棄したのだ。 最初から最後まで、ひたすら自分の姿に。 こんなにも醜悪で、不快極まる人間として生きながらえている己を、とことん嘲り、吐き棄て、嫌悪の意識だけで卑しめ尽くしていたのだ。 「・・・何者なのか?彼の叫び、怒りはどこからやってくるのか?その源が知りたい」 監督のテーマはこれだ。 でも僕は、記録されたこの僕は、何者でもない、おぞましいだけの汚いハイエナだった。 一体何というひどい容姿だろう。 どこまで最低最悪な風貌だろう。 こんなヤツが街を歩き、人込みを彷徨い、あまつさえカメラの前を遮って、その裸像を全国の好奇と欲情の目に大安売りしているとは。 しかもあの始終ニヤついているような、滑稽を気取ってるような、モニョモニョとしゃべり、フザケ、馬鹿げ、何だあの口のきき方は、驕慢で横柄で、捻じ曲がった、悪相の極み・・・・・。 イヤな野郎だ。 とことんムカつく奴だ。 穴があったら入りたい? アナにも挿入させてもらえなくなった特殊AV男優だろうに・・・。 ザマはない。 よくぞ平気で生きているものだと、その無知か厚顔か、とにかくあきれ返って言葉も出ない。 恥をしのんで、とっとと死んだらどうだ? 無様を感じて、いい加減、己の始末くらいテキトーにつけたらどうだ?! 僕はブラウン管に向かって何度も吠えていた。 嫌になって、うんざりして、ひしゃげてしまいそうなくらい、声と脳を枯らして、僕はテレビの中の、映画の中の、僕と同じ名で姿形をしたAV男優ヤローを罵倒していた。 そう、野次っていた。 責め立てていた。 全否定していた。 「AVアイドルを舞台に上げてヤジとイジメで犯しまくるV」(テーマ参照)のように。 かつて何度もAV女優たちにそうしたように。 結局、僕は自分を一番罵りたいのだ。 誰よりも己に向かって絶叫し、憤怒の限りを叩きつけてやりたがっているのだ。 僕の源は僕自身だ。 それをこそ改めて思い知らされたから、僕は泣くはずもなかったのだ。 会場の中にいたら僕はどうしていただろう? 下を向いて、うずくまって、いや天に唾して、痙攣するまで憤って・・・いずれにせよ、誰にも見られなくてよかったくらいが・・・。 やっぱり、いつもどおり、僕の人生そのままのように、たった一人、ひとりっきりで、己を凝視するのが、僕の自然だった。 宿命だった。 業だった。 僕はもう泣けないから。 僕に残っているのは、自棄と自責と、己への果てしない憎悪だけだから。 「涙がでました」 「ありがとうございました」 「助けられました」 画面に映された誰かのブログ。 読者のコメント。 かつて自分自身に送られた言葉だなんて、今の僕には信じられない。 このブログのどこかに、こんな穢れのない言葉が散りばめられているなんて、まったく信じる気持ちにもなれない。 嘘でも何でもなく、本当に誰かが書いてくれたのか。 僕の文章がこんな美しい言葉を呼び寄せてみせたことが、現実にあったのか。 だが、僕にはもう探し出す気力も残っていない。 なぜなら間違いなく過去のものでしかないから。 今では誰も、どこにも、明日も来年も10年後も・・・僕には縁のない言葉の数々だから。 現在の僕にこびり付いて離れないフレーズは、これだけだ。 追い払っても追い払っても・・・必ずどこかに記されている、どうしてこんなに頼んでいるのに絶対に書き加えられている、悪鬼の紋章は、この言葉だ。 "何もしてあげられませんが" どーでもいいから、とっとと死ね!という意味だ、要するに。 僕は、あがき、だと言ったらしい。 役割だ、と答えたらしい。 「なぜ自らイバラの道を突き進むのだろうか?」 自分の顔が正視出来ない。 画面いっぱいにアップとなった己の46年目の顔が、この上なく見るに耐えない。 僕のはイバラの道じゃない。 腐ったドブだ。 あふれかえった異臭の肥溜めだ。 膿んでいる。 自ら、なんかじゃない。 他に何も出来ないから。 そして何もしてもらえないから。 人間は、誰しもが、ただそれだけの命でしかないんだ。 かわいそう、と言ってくれた。 代弁者だ、と弁護してくれた。 でも、普段何やってるんだろう、で終わるだけの存在だった。 役者というより編集者として使える、それくらいの男優のようだった。 凄いのは人をイジメている時だけ。 僕が誰かを怨み、誰かを否定し、誰かを攻撃している時だけ、僕は誰かから気付いてもらえ、見ていてもらえるのだ。 相手してもらい、カネをもらい、生きていることを許されているんだ。 泣く価値なんて、とうにない。 生きている意味? 誰も、カケラの関心もない。 だから"特殊"なんだろう。 僕に一切何もしないこと、関わらないこと、それが普通、なのだろう。 僕は疑問に思う。 なぜ、この監督にとって、アダルト業界が居場所、なのか。 僕が「自分と向き合う」のは、それしか術がないからだ。 もう若くもなく、誰もおらず、何も始める気が湧いてこないからだ。 僕以外の人はそうじゃない。 そうではないから、僕のブログは止まった。 何もしてあげることが無くなってしまったから、僕は全然書けなくなった。 僕は変わったんだ。 慈愛に満ちた言葉を毎日のように紡ぎ出していた頃の僕は、どこかへ逝ってしまったのだ。 何もしてもらえそうもない、と分かったから・・・? 最初からそれが僕の当たり前の真実、だから? 10年前、泣きじゃくって得心し果たした宿業を、やっと、やっと、黙って受け入れる諦念に達したから? 僕は予想に反して、自分の映画に泣かなかった。 祈念に逆らって、僕は己を徹底して蔑み、足蹴にし、打ち捨てた。 誰も見ていないところで。 僕は、こんなものだ。 せっかくの映画を、せっかくの創造を、僕が台無しにした。 僕に意味はないんだ。 AV男優以外の意味は・・・。 それにしても、この映画にはAV女優以外の女性がほとんど出てこない。 僕を語る女性など、まったく片隅にも登場しない。 ただ監督だけは、女性。 これでAV男優の記録。 僕だから、こうなる。 誰のせいでもなく、僕の人生は、こんなである。 究極・・・僕が変わっていないのは、AV男優であることだけだ。 もう毎日ブログを更新することも、暖かい言霊を送り届けることも難しいだろうが、僕は今でも明日でも、「ヤジとイジメで・・・」を再び演ることは出来る。 「しりとり侍」は、また新作をやったし、ジーザスだって、「公開色責め」だって・・・。 僕はAV女優を虐待出来る。 イジメて泣かして、忌み嫌われることが四十六歳にもなって、まだまだ出来る。 自分が泣けなくなったから。 愛されない、という一点だけが、僕の人生を繋いでいるから。 "生涯AV男優"。 僕の命が、ここにある。 ここに。 愛のない僕に・・・永遠に・・・・。 追記。 この映画に対する評価なんて僕に出来るはずがない。 ただ・・・見てほしい、とは思う。 どこの誰か、見当もつかないけれど、僕を見てもらってかまわない、と想う。 誰か、いれば・・・いてくれたら・・・・・・。 そんな人の側でなら、もう一度泣けるか・・・泣けるのか? |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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はじめまして。女体研究所で辻丸さんを知り、どこかアーティスティックな存在感が気になっていたらこのブログを発見しました。 |
J30 2007/12/06 00:37 |
わたしは見たいです。 |
みなみ優 2007/12/29 22:58 |
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