AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS 夢というテロル・・映画メモ「歌磨〜夢と知りせば〜」

<<   作成日時 : 2006/06/26 20:15   >>

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77年 監督実相寺昭雄 音楽広瀬量平 出演岸田森 平幹二朗 緑魔子 三田和代 成田三樹夫 内田良平 岸田今日子 中川梨絵 山城新伍 

江戸時代爛熟期、美人画で一世を風靡した孤高の絵師喜多川歌麿の物語。
といってもこれは映画そのものが一本の爛熟を目指したような作品だ。おびただしい数の登場人物のそれぞれの夢が、混濁と迷妄にどっぷり漬かったような、めくるめく浮き世の乱脈図だ。
いつの時代でも、人は夢を見る。
けれど夢は人の世を確実に狂わせる魔性を持つ。
各人各様の夢がいかに放埒に展開しようとも、夢を見ようとする個人の意志は決して一様に刈り取られることはない。
夢を見ることは生きることだ。
生きることが夢を見ることでなくなった時、時代は暗黒に染まるのだ。

享楽主義者にして賄賂政治で悪名高い老中田沼意次の庇護を受けながらも、なかなか思うような美人画を描けない歌磨は苦渋の日々を送っていた。
彼を巡る様々な無頼漢達。
昼は当代きっての人気役者市川団鶴、しかして夜は世直し義賊”夢の浮橋”。
風来山人こと平賀源内。
御家人くずれの狂歌師志水燕十。
女スリのお涼、花魁太夫の朱雀・・・・。
歌磨は版元の蔦屋重三郎から、どうして花鳥風月は鮮やかに描けるのに、女はうまく描けないのか、と酷評される。
「描きますよ・・・私は女を描きたいんだ・・」
憤慨して走り出す歌磨をなだめながら杉田玄白の解体新書を見せる源内。所詮女なんてこんなものだ、と。それは女性性器を克明に記したグロテスクな絵図。
これが女か?!と激怒する歌磨・・・。

病み腐った時世、人々は様々なものに人生を託す。
権力に謀略に、芸道に社会正義に、博学に諧謔に、犯罪に売春に・・・。
女を描くことのみに己を賭ける男。その女とはもちろん現実の醜悪な姿ではない。理想化された夢人形でしかない。
僕もそうだ。
こんな荒み切った堕落と汚辱の時代、僕も理想化された女性像へ勝手に自己を没入させるしか生きる術がないのだ。
権力は汚い、謀略は愚劣だ。芸道は空しい、社会正義は闇でしかない。博学も無意味だ、諧謔も欺瞞だ、犯罪は徒労だ、売春は・・・僕もAV男優だ。
でも僕は女性器には興奮しない。見れば見るほど不気味にしか感じられない。
絵に描いた女はすでに現実のものではないから、女を描くことは、現実における夢の具象として存在しうる。
だが僕は女を追うだけだ。
夢で紡ぎ上げた女を、現実の中に追い求めるだけだ。
それは美人画のように形として残せない一雫の耽溺で終わるだけのものなのか・・。
僕は女を・・・どうしたいんだ?
これが女か?と僕は何を見て、何に対して吠えようとしているんだ?

歌磨は、生々しい女の姿を描こうと、源内や燕十の女郎遊びを見物し、さらには吉原きっての太夫朱雀と、田沼に弓引く悪徳大名赤石の濡れ場を屋根裏から覗き見したりするが、何か突き抜けられない。
「人間の濡れ場ってのは悲しいねぇ・・その悲しさが、何とか線にならねぇもんかなぁ・・」

セックスを哀切にとらえるのも一種の理想だ。
僕も女性を哀切にとらえたがる。女の性を悲痛なものと幻想したがる。
だから僕の行う性交に歓喜は乏しい。絶頂を極めた先には、沈鬱な悲壮美しかない。
僕は女性をいじめて悲しい美しさを求める。加虐の果ての哀れな昇天を夢想し、追慕する。
僕は暗いAV男優だ。僕はAV女優を悲惨な女神に祭り上げようとする邪教徒だ。
暗澹たる気分で終わるAVなんて誰も見たいとは思わないだろう。
僕は売れないままだ。
僕が心底描きたい女性は、AV女優ではないのだ。

歌磨は、お忍びで参詣中の高貴な婦人お千香を狼藉者達から助けてやる。その気高い美貌に魅せられた歌磨だったが、今の彼にはまだその美しさをどうすることも出来ない。
「描けない・・・」
思い余った歌磨は、何と自分の家で、妻お奈津を浮浪者に犯させ、それをフスマ越しに写生しようとする。必死で抵抗していた無垢な妻が、やがて激しく乱れていくさまを凝視する歌磨。だが・・・ひと筆も描けない・・・。
一方、有名な天才版画師の彫申は、夜鷹を襲い、蝋燭を垂らして己の絵柄を発見してみせる。お奈津も姿を消し、敗北感に見舞われるだけの歌磨・・。

今の僕も、結局すべての女性に対してどうすることも出来ないのかもしれない。
ハメることも撮ることも、優しくすることも愛することも、そして信じることも・・・。
僕は心の中で何度も女を犯す。罪もない女を誰かに犯させる。
だが、何も描けない。AVにも人生にも、ひと筆の下書きも叶わない。
僕はプロに成り切れないのか。
夢を前に無力なままの、人でなし、でしかないのか。

歌磨は女スリのお涼と親しくなる。
小高い丘から江戸の夜景を見下ろす二人。「綺麗だぁ」
両手で四角を作って眺める歌磨。
「キザねぇ、あんた」
「キザじゃないんだよ。こうしないと広過ぎて世の中がよく見えないんだ」
「江戸なんて、ちーっぽけなもんさ・・あたしの観音様に比べたら」
「・・・」
歌磨はお涼を描こうとする。
「あたしを描こうっていうの?」
「あんたの、美しさのすべてを、ね」
「それは無理よ」
「無理?・・・」
「あたしは江戸のあぶくの中から生まれてきた女・・だから誰にもあたしは描けない」
必死な想いで、お涼にすがりつく歌磨。
「焦らないで・・」
聖母の如く歌磨を受け入れるお涼。

広過ぎる世の中。僕もそうだ。
自分のちっぽけな手の間からしか、もう眺めようとはしていない。
でも女性の美しさならどんなに広大であろうと、そのまま飛び込んでみたい。
たとえ無理だと笑われようと、観音様のように高みにあろうと・・・。
僕は死ぬまで何も描けないだろう。
無限の聖母を希求しながら、やがて時間のあぶくに尽きてしまうだろう。
それでも僕は心で女性にすがりつく。自己陶酔の偶像に今日も必死の願いでかしずいている。

歌磨はまた赤石と朱雀の寝間を覗こうとするが、用心棒の浪人山月に見つかる。危うく斬られるところを助けてくれたのが”夢の浮橋”。
舞台上の彼は団鶴として朗々と謳う。
「所詮この世は、夢のまた夢・・・」
だが”夢の浮橋”を手引きしていた疑いで彼の女お園が町方に捕らえられる。命を燃やして愛した男を守るために、お園は堅く口をつぐみ、与力達の厳しい拷問の末、責め殺される。その修羅の様を描き写していた歌磨。
「ああして崩れていく姿・・女だ・・女そのものだ・・・」
お園の墓の前で、しかし歌磨はその責め絵を焼いてしまう。団鶴が声をかける。
「人間てのは、つくづく悲しい生き物じゃありませんか・・・あなた、何でこの悲しい生き物を描きなさる?」
「私は・・・」
「悲しいからですかい?それとも・・好きものだから?」
「いえ、私は・・」
「おっと・・いいんですよ、別に。誰だって・・闇雲に何かを追っかけてるんだ・・それがあなたの夢なんですね」
「・・・」
「だけど・・いいよ・・・絵師はいいよな・・・私は影だ・・・・人間の影にすぎない・・・」

愛に生きるのが女の至福なら、そのための受難に耐え抜くのも女にとっては倒錯した甘美な殉教。
被虐の女は美しい。愛を貫く女は絶対の成仏に達する。
それを男は悲しい、と見る。
己のエゴの元に、女を悲しい生き物として葬り去る。
僕は悲しいのか。それとも単なる好色なのか。
ただ人は誰でも何かを追い掛けている。理屈もヘチマもなく、自分の夢にしがみついている。
その夢が純粋であるだけ、人は憐れまれる。悲しみの者と、送りだされる。
僕も影だ。
何も刻み込むことも出来ない、心の影だ。
夢の、また夢・・・。
僕には果てしなさすぎる。この世のすべても、人のこころも・・・。

お千香と再会した歌磨は、彼女の生まれて初めての市井の散策に付き沿い、その自然で無邪気な歓びを見つめる。彼女はまさしく歌磨にとっての夢であり、彼は一気に画力を上げて、ようやく蔦屋にも認められる。
だが、こういうのもあるんだよ、と見せられた数枚の役者絵・・・その強靭にして圧倒的な迫力に歌磨は驚嘆する。
絵師の名は写楽。氏素性も一切明かさず、これだけの絵を残していずこかに姿を消してしまった、という。
歌磨は写楽を追い掛けるが如く旅に出る。
その途中、彼は巡礼者となった妻お奈津と偶然再会する。一緒に江戸へ帰ろうと勧める歌磨に彼女は静かに首を振る。
「私には、四枚半の畳だけが、人生でした・・・でも今の私には、四枚半の畳もどうでもいいんです・・・それを教えて下さったのは、あなたです」
「わたしが?」
「あの夜、私の体も夢だということを、あなたは教えて下さった・・・」
「私は・・・この世で夢が結ぶ時もあると思っている・・」
「あなたは幸せな方ね」
「俺が?」
「夢を追い続けていらっしゃる」
「それが・・・生きるってことじゃないのかい・・」
「わたし・・・わたしにはそんなことも・・もうどうでもいいんです・・・」
お奈津は歌磨に背を向ける。
「女だって仏になれると思って・・私も歩いているんです・・・」
「・・・・」
その夜、宿屋の隣の部屋で、心中を前に最期のむつみ合いを交わしていた男女を覗き見た歌磨はその様を菩薩に描く。狂おしく燃え尽きんとする女を仏として描き込む。

つつましい人生に満足していた者が、己の肉体に巣食う飽くなき煩悩を思い知らされた時、人間の夢の恐ろしさに気付く。
夢を追うことは幸福なのか。夢を感じることは、人間の苦行に繋がる宿命ではないのか。
だが、夢も人生も捨ててしまっても、女は仏になれる。
生きることに絶望し、一夜の夢に情死しようと、女だけは菩薩に昇華する。
それも男の夢なのか。
宛てのない旅を繰り返す男という俗人の、肌寒い生きざまなのか。

歌磨は旅先で富士を一心に描いている男と出会う。かつて江戸で似顔絵描きをしていたその男は、今は葛飾北斎。だが歌磨は、彼の荷物に写楽の下絵を発見する。役者絵に挫折した写楽が、風景画の北斎になっていたのだ。私も旅の景色でも描こうかな、と言う歌磨に写楽、またの名を北斎が言う。あんたは美人画しか描けない。だから俺は美人画を辞めたんだ、と。
江戸に戻った歌磨は豪商の妾になったお涼と再会し、激しく体を重ねる。
「長ーい時の流れからみたら、こうしているのだって、ほんの刹那にすぎないのね」
「この世は浮き世・・フワフワ漂う命・・・何かにしがみつかなきゃ、生きていけない・・」
「あなたはいいわ・・・夢の中に生きられて・・・」
だが、そこへ主人と赤石が現れ、歌磨の目の前でお涼を折檻しようとする。覚悟を決めたお涼は叫ぶ。
「でも、心までは奪えないわ、それは貧乏人のものよ!」
お前達下衆の、いじけたものなんざ欲しくない、と主人と赤石は、お涼を二人掛かりで陵辱する。悲痛と憤怒の瞳でそれを凝視させられる歌磨・・・。

写楽から北斎へ。
歴史の真実など誰にも分りはしない。
けれど写楽という希代の天才が風の如く現れては消えてしまったという事実を、我々は噛み締めずにはいられない。
写楽という夢は現実の前にあっけなくかき消されてしまった。それがたとえ富獄三十六景という絶品に転生しえたのだとしても、写楽の夢は刹那についえた。
この世は、浮き世。
人は何かにしがみつきながら、時の流れをかろうじて漂う。
写楽から北斎へと男は描くことにしがみついて生きた。
貧しい女は体を奪われようと、心にしがみついて滅ぼされた。
生き残るために捨てる。
己を生きるために、守り抜いて傷つく。
夢は人の味方ではなかったのか。それとも夢なんてものは、人を奪い、人を虐げ、人の心さえ踏みにじる残酷な真実だったのか。
写楽は消えた。女も消えた。
わびしい夢になお生きる僕も、やがてどこかへ埋もれるのだろう。

その頃、老中田沼意次は失脚し、松平定信の改革が断行された。
風紀粛正と称して、浮世絵や芝居への徹底的な弾圧が始まったのだ。
「なぜなら浮世絵や芝居は人の心を乱れさせる。恐ろしいのは民の心の乱れだ。それは幕府を倒すほどの力となる」
蔦屋、燕十、そして歌磨はそれぞれ没収、発禁、入牢、手鎖の刑を受け、その活動を壊滅させられる。叩き壊される版木、一枚残らず燃やされる浮世絵・・。蔦屋は絶叫する。
「なぜですかい、お役人様!女と、女と男の楽しみが、お役人様には気に入らねえんですかい?!そ、そんなことが世の中を乱したりなんかしませんよ、世の中乱してるのは、あんた達じゃないですか!」
殴りつける与力。「あんた達なんですよ・・・!」
焼き捨てられてゆく美人画の前で歌磨も慟哭する。
「私の女が・・女の肌が焼かれてしまう・・・何するんですか、私の女に!」

人民の心が乱れることは、革命に連なる。
夢に飢え、自由を漁ることが国家権力を打倒してしまう。
秩序は拘束だ。良識は支配だ。風紀などというものは人間の檻だ。
性は弾圧される。性を声高に叫ぶことは最も危険なシュプレヒコールとして封殺される。
権力こそが乱れだ。
人間の夢と自由を圧殺することが、この世が最大に乱れる形相だ。
排斥されるところに夢がある。
否定される無力な汚名だけが、真の夢を絶叫出来る。
僕の女が焼かれる時、それは僕が死ぬ時だろう。
それまで僕の女は何者からも抹殺されない。どんな力であっても、僕の愛する女は駆逐されない。
僕はもう吠えることも忘れているから。
自分だけの卑小な落書きに、毎日だらしなく浸っているだけだから。

団鶴もまた一座解散、コヤ打ち壊しの憂き目に合う。
牢の中、お涼との情交を想念する歌磨。
「・・思いつつ 濡れ場や人の見えつらん 夢と知りせば 覚めざらましを・・・」
手鎖にかけられた両手ではあったが、彼はその指の動きで、心の中に描き込んでいく・・・。
大火の夜、”夢の浮橋”に戻った団鶴は、赤石一味を斬り捨てる。そこに現れ、加勢する山水。彼もとっくに赤石に裏切られていたのだ。
「俺の嫌いなものは、愛されねぇ者の嫉妬、女をいじめる奴、それに夢を見ようとしねぇ奴さ」
白煙の中、相対する二人のはぐれ者。
「どうしても、やるというのか・・なぜだ?」と、団鶴。
「死に時なのさ・・そうだろう?」と、山水。
「死に時?」抜刀する二人。
「とどのつまり・・呆気ねぇ浮き世だったなぁ・・」と、団鶴。
「俺には充分すぎるくらいだった」と、山水。
一瞬の勝負の末、相討ちで二人は果てる・・・。

僕も毎日が牢の中だ。
誰と会おうと、現場にいようと、女を買おうと、そして今も、手鎖のままだ。
どうせこの世は、夢のまた夢。夢と知りせば・・・あらゆる地獄も心の中に・・・。
愛されない者のみじめな嫉妬。
女をいじめて生きて来た奴。
夢を見ることにくたびれちまった裏切られ者。
みんな、僕じゃないか・・・・!
僕もとっくに死に時なのか。
呆気無い浮き世、充分すぎる人生。
僕はどっちをつぶやいて死ぬだろうか。
夢を失くした者同士、僕は誰と刺し違えるのだろうか。
女と、死にたい・・・・。

手鎖のまま牢を追われた歌磨は江戸の町を彷徨う。
脳裏をよぎるのは遍路姿のお奈津、拷問を受けるお園、苦悶にあえぐお涼、そして消失してゆく版木、美人画、枕絵・・・。
お千香の乗る籠を目にした歌磨は、彼女が一橋家の奥方であると聞かされようが、構わず突進していく。無礼討ちにされかねないものを、必死で止める燕中達。
「いつまで夢を追ってやがるんだ、いい加減に目を覚ませよ!」
「うるせいやい!負けるもんか、江戸っ子だい!役人も俺から夢だけは奪えない!」
けれど、じきに見失ってしまう歌磨・・・江戸の夕暮れ・・・・・。

結局、歌磨は身近な女は全て失い、到底手の届かない聖女だけが残されてしまった。
叶わないから夢なのか。
奪われようもないから、夢は永遠なのか。
この世が所詮夢なら、目を覚ますことなんて土台出来ない。
夢の中で夢を追うこと・・・。
はかない足掻きにすぎなくとも、それは何人も遮ることが不可能な絶対の自由であり、自爆以上の壮烈なテロルと成り得る。
夢の形を見失ったとしても人生は続く。浮き世は続く。夢もまた続く。
生きている限り、夢は死なない。何度置き去りにされようと、夢だけがまた、夜から明日へ人間を繋ぐ。
僕は夢の中だ。
下衆で愚劣な惰眠の世界を、あえぎあえぎ彷徨うだけだ。
目を覚ましたって何がある?
夢を棄てたからって、そこに誰がいてくれる?

この映画はまさに絢爛たる錦絵だ。あるいは悪ノリに過ぎる万華鏡だ。
縦横無尽に移動するカメラ、騙し絵のような広角レンズ、顔半分のどアップ、蝋燭の炎だけで撮られたとさえ言われる陰影の日本家屋、白と黒のフラッシュバック、背後から廻り込んでくる悪魔的なキャメラワーク・・・。
見世物調の、歌舞伎調の、春画めいた、SM趣味の、痛快チャンバラの・・・。
雑然たる江戸の町。
あらゆる階層の夢が錯綜し、狂喜乱舞を彩る。
だが、そうかと思えば、まるで目も覚めるような鮮やかさで、四季おりおりの大自然が、日本風景の白眉が、これ以上ない美のカットとして画面に静謐さを加える。
日本人はこんな素晴らしい風景の中を生きている。
だのになぜ、猥雑で豪奢な、あるいはいじましくて耽美で鬱屈した、欲望と紙一重の夢うつつに、誰も彼もが捕らえられてしまうのか?
その答えは歌磨にある。彼はありとあらゆる場所を歩いてゆく。自然も町も芝居小屋も、遊廓も屋根裏も牢獄も・・・。
そのすべての目的は夢だ。夢を求める道行が、歌磨という一人の無力で純粋なだけの男を地上のあらゆる舞台にいざなうのだ。
だから彼は自由である。彼の夢はどこまでも自由への道に続いている。
僕はもう自分で歩けない。夢を追う本能を枯らしてしまった僕に、歩ける場所なんてどこにもない。
僕の夢舞台は、僕の心だけだ。
その孤絶した心に浮き出る、夢のまた夢の、遠過ぎる女たち・・・。
僕は革命家にはなれなかった。
そして自由にも、なれなかった・・・・。



















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夢というテロル・・映画メモ「歌磨〜夢と知りせば〜」 AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜/BIGLOBEウェブリブログ
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