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71年 原作監督脚本寺山修司 出演佐々木英明 平泉征 斉藤正治 新高恵子 鈴木いづみ 浅川マキ 天井桟敷 東京キッドブラザース いきなり真っ黒な画面が長々と続いて観客は待たされる。こんな映画、誰も見たことなんかあるはずがない。 「何してんだよ?映画館の暗闇の中でそうやって腰掛けて待ってたって何も始まらないよ。スクリーンの中はいつでもカラッポなんだよ。ここに集まってる人達だってアンタ達と同じように、何かに待ちくたびれてるんだな。なんか面白いことはないかってさ」 観客を挑発する主人公。最初から自分の化けの皮を剥がしてみせる映画。 「まあ映画館の暗闇の中でカッコ良く堕落しようなんて思ってるんだったら、そんな行儀良く座ってたって駄目だよ」 堕落・・・こんな言葉が自然に語られていた七十年代。 「失敗したって誰もアンタの名前なんか知らないしさ。誰も俺の名前なんか知らないし。まだ新聞の見出しに一度も名前なんか出たこともないし。だって名もなく貧しく、汚いしさ・・・」 単なる若さゆえの自己顕示欲か。哀れな自嘲か。 「誰も俺の名前なんか知らない・・・高倉健が大暴れした映画の後なんかまるで自分が二三人ヒトを斬ったような顔をして肩をいからせて映画館を出て行ったお前、そうお前よ!あの時お前に何が起こったんだ?!ええ?何が!・・・俺は忘れもしない。映画館の暗闇の中で、一人さみしく泣いてたんだもんな」 観客に食ってかかる青年。すぐに涙ぐむ孤独な魂。 「安物の鉄パイプの翼で、飛んで祖国へ帰ろうとした無鉄砲な朝鮮人。お前が飛んだその数メートルの空を羨みながら、いつも風邪のひき癖だった。自分の重力に泣いている、鉄工所プレス工、月給が二万八千円の人力飛行機の俺だもん」 祖国、朝鮮、そして人力飛行機。やるせない響きの単語ばかり。 「誰も俺の名前は知らない。貧しい工場街のやくざな裏通り、洗濯干し場の隅っこの、または失敗続きの人生の、養老院の壁に、入れなかった大学の教室の黒板に、公衆便所の壁に、町中のいたる所に俺は書きなぐる、自分のアリバイだ。さあ、もう一度しか言わないから覚えていてくれよ、俺の名前は、俺の名前は、俺の名前は、俺の名前は、俺の名前は、俺の名前は・・・」 僕は寺山修司の良き読者ではない。監督映画を五本見ているだけで、本で読んだのは「ポケットに名言を」という引用集だけ。短歌にいたっては、ひとつも知らない。 彼に漂う永遠の青春の匂いとやらが相に合わないのだ。 僕は青春映画は嫌いだ。セイシュンの甘えが、嫌いだ。 ”息を殺してる なにかを待っている ケモノのように 檻を出て 今すぐ大声で ほんとは伝えたい あなたへの メッセージ ・・・・なぜ なぜだ 嘘つくなよ 夕日の沈む頃 どこからか NO NO なにも聞こえない なにも そんなものごまかしさ ごまかしさ 馬鹿にすんなよ くたばっちまえばいいんだ、くたばっちまえ、くたばっちまえ!” しかし叫びなら好きだ。絶叫なら好きだ。反逆なら好きだ。 そのためのリング。そのためのボクシング。ストイックな闘い。ケモノのように。 だったら魅かれる。くたばっちまえ・・・今でも一緒に、吼えられる。 「婆さんは、万引き常習犯の亀の子タワシ。親父は、戦争犯罪人の負け犬。妹は、人間嫌いのウサギ変態。そして我が家は、新宿区戸塚一丁目三十三の九の、家畜小屋だ」 主人公は線路を走る。本当はグラウンドを走りたい。皆とお揃いのユニフォームを着て、決められたルールを守り、はっきりしたゴールへ向かって、栄光の勝利に向かって、全力で走りたい。 「ほかの人の心臓は胸にあるだろうが おれの体じゃどこもかしこも 心臓ばかり いたる所で 汽笛を鳴らす」ウラジミール・マヤコフスキー 時代はフリー。真っ二つに焼き裂かれる星条旗、クズ屋の顔はどいつも佐藤栄作、燃やされ小便をかけられるピースの山、町中で堂々のクスリ、デパート上のライフル魔、繁華街に吊るされたペニス型のサンドバック、歩行者天国を疾走、路上演劇でバカ踊り・・・。 「苦しみは 変わらない 変わるのは 希望だけだ」マルロー 主人公は先輩に連れられて娼婦の元、筆下ろしに行く。優しい彼女が導いた寝床の敷き布団には般若心経が記されていた。交わりの中、童貞青年の脳裏に木霊するのは哀しいバラード、読経、自分のすすり泣きの声。彼にとって性は、地獄なのか。 彼は古里の東北を思い出す。追われて逃げた寒村の田畑に思いを巡らせる。 僕も筆下ろしは風俗だった。逃げはしなかったが、イくことは出来なかった。何の曲も念仏も聞こえなかったが、どこかで泣いていた。やはり地獄だったのか、多分。 「楽園を追放された人間は 歴史への道に出てゆくことを強いられたのである」フロム サッカーのような激しさ、それが彼の求めるものなのか。 時代は倒錯。ルームメイト募集。男性ヌード。男性SM。ホモ交際。ゲイ募集、蒸発妻。結婚相談所、幸福の手紙、尋ね人、笑う会・・・。 青年は妹がサッカー部員達に輪姦されていても手が出せない。溺愛していたウサギを祖母に殺された妹は半ばイかれた。先輩も妹を犯した。彼は寒い外からドアを叩いたり、覗こうとしたり、自転車をぶつけたり、するだけだ。 やかましい車道の側をトボトボ帰る兄妹を追い越していく、牛の内臓を担ぐ男。 青年は高倉健にはなれない。父もなれない。傷痍軍人の群れ。父は痴漢。健さんのバカでかいポスター。 ”死んでまらいましょう 死んでもらいましょう ああ 思い出すだけでも ゾクゾクする わたしは人を斬ったことがなく 刺身包丁を持ったこともなく 世の中こわい いつも貧血症で 涙もろく 月給わずか二万円 カレシもなく 勇気もなく アパートもなく ネグラはいつも 死んだ映画館 お命頂戴 お命頂戴 ああ グッとくる 健さん 愛してる” 蒼い影と光のなか、一人の若者が語る。 「朝鮮で生まれて、日本で育った。僕は吃らないように、しゃべるために、自分が絶対に吃りそうもない言葉を選びだし、それを色々組み合わせて、本当に言いたかったことと、別のことを言ってしまうことがよくある。小学校の頃、教科書の語集に、心に太陽を持て、というのがありました。こころに、と言えなくて、ここここ、と繰り返してニワトリとあだ名がつけられた。十畳の畳の上での、腹式呼吸をやり過ぎて、医者に担ぎ込まれたこともあった。歌を歌うと吃りが直るといわれて、「函館の女」を百遍歌った」 「だが、吃ることも、思想ではないでしょうか?昇る朝日は、ビルとビルとの間に、吃る。ベートーベンの運命交響曲は、ザザザザァー、と吃る。ベトナム兵は、焦土の上で、吃る。吃りの浮浪者。朝鮮海峡は、吃りの国境線」 「見たか!日は吃り、心は吃り、吃り、吃りながら叫ぶなんてことを、僕は恥ずかしく、吃りながら、僕は、恥ずかしく、吃りながら・・・」 「だが、吃るからこそ、自分の言葉を、自分の口の中で噛み締めることが、出来るのだ・・・」 僕には何の障害もない。それなのに、こういう叫びには、滅法弱い。何度聞いても、心に突き刺さり、自分を責める。 欺瞞だ。驕慢だ。まやかしだ。 だが、僕だって、自分の言葉を、自分の口の中で噛み締めることは、出来る。 叫ぶべき思想もないけど、恥ずかしさと、怒りと・・・何かは、知っている。 父は祖母を養老院へ棄てようとする。遠い記憶の中の、まぐわう祖母と、小人の祖父。 祖母は宝クジに当たったと嘘を吹き、姥棄てリアカーで廃棄されてしまう。 先輩はバイクを洗い、青年の前でイイ女と明るくセックスする。青年はただうずくまって人力飛行機の夢を見る。 アングラワールド。ニューハーフ、長襦袢の男、ソドミーSEX、制服を脱ぎ捨てて合唱する女校生たち、「飲んでますか」の世界のミフネ・・・。 「町は開かれた書物である 書くべき余白が無限にある」 青年は歩行者天国を彷徨い、無闇に話しかけ、行く手を遮り、突き飛ばされ、無視されていく。 「馬鹿野郎、どこ行ってんだよ。何いいことがあるってんだよ・・・悲しいことがあるからさ、幸せなこともあるから、怒らなきゃならないことなんかもいっぱいあるから俺達はどこへも行くことが出来ないんだ、それを通り越していくことが出来ないんだよ、俺達は怒らないで、もう通り越していくことなんか出来ないんだ・・・」 僕も彷徨ったことがある。ブツブツブツブツと一人歩き回っていたこともある。 僕も怒っていた。誰でもない、誰か、すべての皆に、自分に、怒っていた。 青年は先輩を訪ねる。 「俺、もうこんな暮らし、嫌だよ」 「家捨てたか?親殴り倒したか?それとも年寄り叩き売ってきたか?何にも出来ないだろ、お前には」 先輩の部屋に妹がいた。ウサギではなく、カネとセックスに包まれて、幸せそうに笑っていた。 ウサギしか相手にしなかった妹を、世間は白痴と呼び、貧しさと無知しか与えなかった。 オトコに狂った妹には、物欲と性欲と、世間並の生活が与えられた。 AV女優はどっちだろう?ウサギがAVなのか、オトコがやっぱりAVなのか。 世間はしょせんAV女優を無知としか、白痴としか思っていない。断固として思っていない。 僕は主人公のように突っ立ってるだけ。目に見える貧しさが無くなったふりをしているだけの、三十五年経っても何も変わらない現実の世界。 別の青年が路地裏で語る。 「パパ、歴史はなんの役に立つの。さあ、説明して頂戴。その書物はそう始まっていた。なんの書物か、ふん、笑わしちゃいけない。俺達は俺達の作り出すものの中でしか、俺達の行為の向かう方向でしか生きられないのだ」 「もう手後れだった。俺は映画館の便所の中に隠れていた。刑事が俺を尾けてきた。暗い客席の中を懐中電灯で照らして歩いているはずだった。俺はもう、アパートへは帰れないなあ、と思った。すると俺は思い出した。アパートの物干しに洗濯したまま干し忘れてきた新しいシャツのことを。土曜日にはあれを着て、田中鉄工所に面接に行くことになっていた。そうすりゃ俺もサッカー選手上がりの労働者。平凡なマイホーム主義者になれたかもしれないのに」 「間もなく映画は終わる。そして人は俺のことを忘れてしまうだろう。映画が終わると白いスクリーンだけが残る。白いスクリーン、白いスクリーン・・・やがて誰もが十五分ずつ世界的有名人になる日がやっと来るって言ったのは誰だ?もしそいつにも出来るなら、この映画と共に消えてしまう数十人のことを、このシラけたスクリーンを見せてやってくれ」 「俺には帰る家がない、故郷がない、国がない、世界がない、始めっから無かったんだ、そんなものは。ひとり少年、親はなし。頼りになるのは写真だけ。写真片手にピンシャリ書く、蛍の光、窓の雪・・・」 「そうそう、中学生の頃、公園でトカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの壜の中に入れて、そいつを育てていたら、だんだん大きくなって、出られなくなっちまった。コカコーラの壜の中のトカゲ、コカコーラの壜の中のトカゲ・・・お前にはこの壜を割って出て来る力なんかあるまい!そうだろう、にっぽん、そうだろう?ニッポン!身を捨てるに価いするだろうか、祖国よ。身を棄てるに価いするだろうか、祖国よぉ!」 突如、燃え盛る人力飛行機!真っ赤に焼ける翼と夕日を前に、青年は不動のまま立ち尽くす。 歴史は何の役に立つのか。 紙一重でしかない、平凡と、外道。 白いスクリーン。 僕にも世界はない、国はない、故郷はない、家はない。また嘘をつく。始めっから、真実なんかない。 コカコーラの壜の中。身を棄てる力なんて元々ないんだ。祖国なんて、人力飛行機なんて、夕日なんて、僕は嫌いだ。 青年は刑事らしい男二人に連行される。延々と、カメラに怒鳴り散らしながら、我々に向かって連行されて来る。 「馬鹿野郎!俺のもんだ、俺のもんだってんだ!うるせぇ!この野郎、離せ!離せよう!怒れ!怒れ!どこ行くんだ、離せよう!馬鹿野郎!畜生!・・・・・・」 怒ること。逆らうこと。吠えること。反逆。反権力。 青春はかくあるべし。怒ることを忘れない限り、誰も答えてくれないとわかっていても、絶叫出来る限り、その人にはセイシュンがある。僕にもある・・・おそらく。 ラストシーン。 まるで舞台のカーテンコールのような背景、主演の若者がしゃべる。 「なんか映画なんて、真っ暗闇の中でしか生きられないのかな」 「だって、こうして明かリがついちゃえば、もう映画の世界は終わりだもんな、消えてしまうんだよ」 「なんか映画の中と外の区別がつかなくなってしまってさ。人力飛行機の夢なんか見たリするんだ。そして夢の中で俺は墜落していくんだよ。なんでかわからないけど。墜落していくということは、掴まるものが他に無いから、てことになるのかな」 「その嘘の嘘、カットとカットの合間からは、俺の寒い、すごい寒い感じのな、二月の空に俺が映っていく、そういう幻想にとらわれちゃってさ。俺はもう、スクリーンの中の家には帰ることは出来ないなぁ」 「大体真っ昼間の街に、ビルの壁に、映画なんかが映るかよ?!」 「さよなら。俺はもう帰らないよ」 「撮影日数が、二十八日の家族。たった二十八日の国家、たった二十八日のオヤジ、たった二十八日の幻滅と怒り、たった二十八日の愛と希望。俺はもうこんな衣装なんて脱いじゃって、どっか別のとこへ出て行くよ。たった二十八日の人力飛行機・・・」 「俺はシネマスコープも、街頭ロケも、ベッドシーンも俺は好きだった・・カメラマンの鋤田さんも、監督の寺山さんも・・・みんな俺は好きだった。だけど俺は映画は嫌いだ!・・さいなら、さいなら、さいなら映画!さいなら!さいなら・・・」 そして本物のカーテンコール?この映画に関わったすべての人々の顔が、スクリーンに流れてゆく。落日みたいに赤暗いフィルムの上に。 この映画は、映画というものを否定して出来ている。映画文法を無視し、観客を無視し、出演者も無視し、スタッフ達の紹介も無視して、映画は終わる。 映画なんて、映画なんて、映画なんて、としつこくアジりまくって、すべての人々を挑発する。 映画なんか見てないで、映画なんか作ってないで、外へ出よう、町へ出よう。 しかし、出て行った先に見えるものは、果たしてどうだろうか? この映画の中の世界と、どれだけ違うだろうか。この映画みたいに、カメラはブれ、ピントは乱れ、色彩は狂い、音声はがなり、人間共は、どいつもこいつも、名もなく貧しく、汚らしく・・・・最後の最後まで怒りを失い、ラストには揃いも揃って黙り込み・・・。 こんな世界、こんな映画みたいな世界、それが現実か、それが外の世界か、我々の生きる町という、スクリーンなのか。 この映画は寺山修司の遊びだ。アイロニーに満ちた映画ゴッコだ。 僕達の人生も遊びだ。どんなに体裁を繕ったところで、空しい人間ゴッコだ。 それでもいいじゃないか。好きだ、といえるものがあったなら。さいなら、と何度も叫びたくなるものがあったなら。 僕は青春は、嫌いだ。 好きだ、と言えるもの、それはまだ、口に浮かばない。多分、死ぬ間際、自分にだけ言うだろう。 さいなら、さいなら、さいなら・・・セイシュン。 |
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