AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS 追想「子宮に捧げる愛の詩」その二"シナリオ"

<<   作成日時 : 2013/01/11 18:00   >>

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"一つの寂しき影は漂ふ。ああ汝 漂泊者!"・・・"ああ悪魔よりも孤独にして"・・・"かつて何物をも汝は愛せず また何物もまた汝は愛せざるべし"・・・"ああ汝 寂寥の人"・・・




「女体拷問研究所」映画化の話を初めて具体的に聞かされたのは、去年の夏のことである。
企画書を見せられ、劇場も押さえたという話だったが、正直のところ観念的なこと?しか書かれていないその企画書からはどのような映画になりそうなのか、どんなタイプの映像化を目指しているのか、さっぱり要領を得られなかった。
タイトルは「劇場版 女体拷問研究所/ビギニング 子宮に捧げる愛の詩」。
「AV版、すなわち男性目線の"荘厳なる女体オーガズム抒情詩から、人間主義に基づく男と女の壮大なオペラへと昇華させ、母性、父性、男、女というテーマをも乗り越える究極の人間目線を描く。
本作は、ドラスティックな裏返しの演出で完成する、母への讃歌であり、人間の讃歌である」云々。
わからない。
いや、AVとは違う何か深遠なものを掴まんとする真摯な意図の必死さ切実さは痛々しいほどに伝わってはくるのだが、"荘厳"、"オペラ"、"人間主義"とまでこられてはどうも・・・あげく僕についての、こんな一節。
「史上最悪の犯罪者にして、もっとも繊細なロマンチスト・・・」そして僕の名前が、いや役名が。
いつの間にこんな御大層なキャラクターになってしまったのか。
繊細?ロマンチスト?
まったくもって・・・何をどう答えてみたら良いというのか・・・。
「君よ、一瞬一瞬を、断じて生きよ!人間は、負けないように出来ている・・・・」
一瞬一瞬・・・僕は大体死んでいる。
負けるように・・・勝てないように・・・それが真実ではないのか、そう祈るように・・・人間は負けていいのだと・・・。
「オマエは何処からやって来る?奴らのルーツ、今・・・、暴かれる!」
僕のルーツ?
母性ではない。父性でもない。
女であることは確かだろう。
人間への讃歌・・・「彼の眼前にある女体も、たしかに、そう謳っていた」
"負けないように出来ている・・・"
なるほど、AV女優は負けない。
撮影中は決して負けない。
その手を僕はAV「女体拷問研究所」の中でいつも握り締めている。
「意味はなくとも・・・、真剣に。
ありがとう!あなたがいるから今、僕がいる、と」
だが、母への讃歌ではない。
人間への・・・という自信もない。
ただのケチなポルノ屋。
いい加減で卑小なだけの妄執の徒・・・。
こんな僕の、ルーツ・・・暴かれる何処・・・何処・・・。
「きっと・・・、人間一人一人を包んで止まぬ、希望と言う名の応援歌を聞きたくて、
世の男たちは、さまよっている。
それは、一歩間違えれば、大切な人を傷つけ
もっと間違えれば、犯罪者となり、さまよい続ける」
結局、僕がこの企画書に対して考察したのはここまでだった。
あとは成り行きに任せ、とにかく映画化という現実を何もせずに待ち受けるより仕方がなかった。
AV男優として、今までどおりに・・・。
そしてクランクインの連絡を受けたのが、一週間前。
その日、僕のスケジュールが空いていなかったら、どうなっていたのだろうか?
僕ではない誰かが、僕を演じ、いや所長役をもっとずっと確かなプロの演技でこなし・・・・。
まあ、しかし運命とやらは味方?してくれた。
僕は出演することになり、二日後シナリオが届いた。
タイトルは「子宮に捧げる愛の詩 女体拷問研究所の真実」となっていた。

映画のシナリオというヤツを初めて読んだのは33年前のことである。
僕はやはりかろうじて10代の学生。
映画監督を目指していた。
シナリオライターでもよかった。
作家でも悪くなかった。
今となってはとんだ身の程知らずのお笑い種。
その映画は
「野獣死すべし」(80 村川透監督 丸山昇一脚本 松田優作主演)
である。
僕は魅了された。
シナリオが掲載された雑誌も買った。
そこで劇中に引用されていた、この詩と出会った。
萩原朔太郎の「漂泊者の歌」だ。

"日は断崖の上に登り
憂いは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂ふ。"

届けられた純白にしてツヤツヤのシナリオをさっそく一読。
正直、アタマに入らない。
何か強烈なインパクト、あるいはキーワードになりそうなものが一つも見つからない。
これだけ?
読後感は他に言いようがなかった。
断崖に登らされた気分。
あまりにもおとなし過ぎて、起伏にも陰影にも乏しい物語に具体的な言葉が浮かばなかった。
企画書の一語一語が憂いを歩む。
オペラ・・・荘厳・・・人間主義・・・・?
まして"史上最悪"である僕の出番は、何とラストあたりのワンシーンのみ。
ロマンチスト・・・ルーツ・・・希望・・・?
そのくせセリフが長い!
いや、プロの俳優としてなら、どうということもない普通の量なのだろうが、僕のようなハンパ者には、とんでもない難物だ。
しかも、まるで夏に見せられた企画書の中身をそのまま小難しく論文化したかのような、堅苦しい語彙の数々・・・。
"主宰者"・・・なぜか所長という肩書きがこの映画ではまったく使われていない。
"快楽拷問"、"深層心理"、"生と死の狭間で聞こえる歓喜の声"・・・何をかいわんや。
"女体が奏でる生命の詩"・・・いのち、の詩と読んでいたのだが、せいめい、だと聞かされる。違和感がなかなか拭えなくて困った。
"子宮性感と呼ばれる驚愕のオーガズム"、"至福の快楽"・・・だが、映画の中では具体的な描写はない。
極めつけはこれだ。
"宇宙の脈動を感じさせる生命の詩を聞くときがやってきました"
もう10月だった。
寂しき影は漂うばかり。
そんな気分になりそうだった。

"ああ汝 漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば鎗爾(そうじ)として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を踏み切れかし。"

だが、四の五のボヤいている時間は僕にはなかった。
まさに一瞬一瞬を、断じて生きよ!
なんてカッコいいものでは当然ない。
元々僕はシナリオという読み物がどうしてか苦手だった。
現場で読むAVのシナリオは、大抵すんなり理解出来た試しがない。
ストーリーもテーマも世界観も常に中途半端にしか飲み込めないまま、ただセリフを大体覚え、芝居もどきをしてみせてるだけ。
つながりも、役づくりも、それ以前の物語の概要も大して把握していない状態で、それらしくドラマの中に存在するふりをするのが精一杯。
映画を見る場合でも、鑑賞前にシナリオだけ読んで、面白いか否かの判断なんて、これまでついたことがない。
シナリオではどうにも分からないのだ。
セリフとト書きだけでは、さっぱり絵が浮かんでこないのだ。
イメージを描写出来ず、イライラして何度も読み返す気力がわかない。
映画そのものとして見せてもらえないと。
何という本末転倒の傲慢!
これでは土台、ハナから僕の立場は決まりきっている。
ああ汝 漂泊者!
シナリオを読み込めない過去から来たこんな僕が、映画を完成させるという未来に向けての久遠の郷愁。
早く映画が見たい。
だが、そのためにはシナリオを読まなくてはならない。
セリフを憶えなくてはならない。
役を理解しなくてはならない。
物語を、この映画の完成図を、自分なりに頭に紡ぎ出しておかなくてはならない。
出演者なのだから。
僕にとっての、時計の如くに憂い歩む時間がその日から開始された。
「私が棄てた女」(2005年12月16日の記事参照)の浦山桐郎監督は、新人女優にシナリオを百回読め!と命じたらしい。
名優三國連太郎氏は、シナリオを二百回読むという。
三船敏郎、鶴田浩二は撮影前に一冊全て憶えてくるので現場にシナリオを持ち込まないらしい。
かくも石もて蛇を殺す作業を経て、名画は完成する。
僕にはそこまでの意志がない。
シナリオというものが、どうしても頭に入らない、という輪廻を、僕は所詮断絶する気力を持ち得ない。
何より自分のセリフを、とにかく己のセリフだけは、シナリオどおりちゃんと憶えるのが先だった。
いや、これこそが僕の全てだった。
映画のキャストとしてはあまりにも幼稚で、情けなくて、恥さらしでしかない僕の限界努力。
こんなプロを馬鹿にした演技者未満、詐欺芸人もいないだろう。
意志なき寂寥・・・それは誤魔化し続けで生きてきた僕のペテン人生への当然の報いであった。

"ああ悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝は愛せざるべし。"

意外に思われる関係者も多いかもしれない。
AV現場ではセリフ憶えの速さでは一目置かれている事実はある。
展開を廻してくれる役どころとして重宝されていることも買いかぶりではない。
だが、AVと映画では決定的に違うのだ!
AVにおいて僕は、短い日常会話はともかく、それなりの量のセリフを一字一句違えずしゃべったことがほとんどない。
大抵は、"てにをは"はもちろん、言い回しから単語、表現に至るまで好き勝手に変更しまくってしゃべっているのだ。それも同じセリフを二度言えない。毎回変わる。時には全然変わる。
面倒なところは全てアドリブ。
意味さえ通じればいい。
きっかけや固有名詞が間違っていなければOK。
こうしなければ憶えられないから。自分の言葉として自然に近く口にすることが出来ないのだから。
これが僕の基本的なやり方であり、AV全般においてもまず通用するセリフ術であるのだ。
しかしこれは映画である!
テストもある。
リテイクもある。
ひょっとしてハリウッド式に、同一シーンを様々な寄り引きカットで何度も撮り重ねるかもしれない。
まして後日アフレコなど要求されようものなら・・・。
僕のいい加減で、無責任なAV演技法?などまったく通用しないことは、自明の理であるわけだ。
かくして僕の、悪魔よりも孤独な時間が泥沼の如く続いてくれることになったのだ。
まだ氷霜の冬には間のある10月の狭苦しい自室。
僕は読み上げた。
何度も何度も、与えられたセリフを、一字一句変えることなく、原文どおりに。
どんなセリフもそのとおり正確には憶えきれない、と僕が自覚したのはいつ頃からだろうか。
自分流の言い回しに変更しなければ頭にも入らず、芝居も出来ない、と開き直って堂々と諦めきってしまったのは、一体男優何年目からのことだったろうか?
僕は役者としての基本的能力の欠如を信じてきたのだ。
その絶対の欠陥を、今このトシになって、どうにかこうにか、克服しなくてはならない羽目に陥ってしまったのだ。
初日・・・やはり細かい"てにをは"からしてスンナリ読み込めない。
二日目・・・読んでも読んでも声を嗄らして読んでも、その度に記憶が錯綜してまるでカタチにならない。
三日目・・・癇癪を起こした。憤怒にかられて、壁に毒づき、宙に怒鳴り、たった独り薄いシナリオを叩きつけ、ほとんどのたうちまわる寸前だった。
我欲のまま、安楽に走り、逃げ回ることだけに費やしてきた己が人生に弾劾される始末の、売れなくなったAV男優。
自業自得に愁い疲れても、帰る家はない。やさしく抱いてキスしてくれる者なんて、もちろんいない。
これが仕事だ。
負けるも何も、この体たらくこそが、僕という犯罪だ。僕のルーツだ。
役者という仕事の基本をキチンと愛さずに来たAV男優。
AV男優という仕事の本質にキチンと向かい合ってこれなかった史上最悪の役者まがい・・・・。
何物をも信じず、愛せず、愛されず。
希望もなかった。
応援歌も聞こえなかった。
ただ、同じ場所にうずくまって漂泊(さまよ)い続けた。
一歩間違えれば大切な何かを傷つけ、もっと間違えれば犯罪者となり・・・。
何かとは何だったか?誰だったか?
監督でもプロデューサーでも、共演者でも観客でもない。
自分への犯罪者になるのが怖かった。
こんな程度のセリフも満足に憶えきれないまま現場に臨む自分を断じて生かしておくわけにはいかなかった。
かつて「待って!」の一言のセリフを五百回以上、丸一日やってもOKがもらえず、その晩自殺を考えた女優がいたそうな。
やはり何度演っても自分のセリフになるとトチってしまい監督の罵声を浴び続けた男優が、その夜廃業を申し出ると監督はこう言ったそうな。
「だったらやめればいいでしょう。でも自分を役者だと思うから、やめるとか何とか言い出すのでしょう?あんなの役者じゃないよ!」
自分は役者だと思うから出来なくて苦しくて、やめるとか言っている。
まだ役者じゃないんだ! これから役者になるんだ!!(翌日、彼は無事にOKを出した)。
僕は死のうともせず、これから!とも決意せず、ただ毎日同じことを繰り返し、自分を罵り続けた。
殴り続けた。
呪い続けた。
蔑み続けた。
何物にも増して愛してこなかった己自身を。
誰よりも絶望しきってきた"汝"そのものを。

"ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!"

まったく大袈裟に書き過ぎました。
実際は、相変わらず他の映画を10本近くも見ていたし、一日のうちで真剣に集中して練習していた時間なんて、幾らあったことか・・・。
ともかく四苦八苦を気取りながら、四日目にしてどうにかサマになりかけ、それでも前夜を迎えても、ブツブツ繰り返しては、あそこでつかえた、ここが言いづらい、また間違えた、どうしてもトんじまう、何を憶えてきたんだか、どんな努力をしてきたつもりか、これで明日か?人前に出るのか?カメラに立つのか?映画に映るのか?
結局、僕にとってこの映画のシナリオとは、「子宮に捧げる愛の詩」であろうとなかろうと、33年前に初めて目にした「野獣死すべし」のシナリオ同様、その面白さを味わう余裕も感性も持てないまま、ただただセリフという幾多の焼印に屈従させられただけの怨嗟の墓標であったと言うところでしょうか。
役作りもヘチマもあらばこそ。
確かに僕は動いていました。
いつの間にか、動きながらセリフを反芻している、もう一人の自分がいました。
「ようこそ!」で、例のごとく両手を広げ
「ここにいる女・・」で、まだ見えざるヒロインを迎え
「イきたがっている」で、中指を立て
「犯罪者と呼ぶ」で、激昂し
「それは」で、カメラを指差し
「ポルチオオーガズムによって・・」で、二本指をくねらせ
「次に進むことができるのだ!」で、首をカッ切るポーズを・・・・。
けれどもこれらは全て、"所長"の動きです。
もう10年近く続けてきたAV「女体拷問研究所」シリーズでの僕自身の動作です。
今回の映画で新たに考えた僕の芝居など、果たしてあったのかどうか・・・。
そうさせた最大の要因が一編のシナリオであり、映画における不動の根幹であり、仕事という魔性のクビキであり・・・僕はそれに捕縛され、手も足も出ないまま、"主宰者"にも"犯罪者"にも"ロマンチスト"にも遠く成り切れないまま、とうとうクランクインに引き摺り出されてしまったわけです。
たかがAV男優としての負け惜しみの捨てゼリフ。
所長死すべし!
いや、シナリオに生きるべし!!
映画に死すべし!!!

(つづく)





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