追想「子宮に捧げる愛の詩」その一"立ち見"

この映画を初めて見たのは11月24日の初日。立ち見だった。32年ぶりの立ち見だった。



八割方埋まった一般客に混じっての鑑賞だから、それは当然だろう。
32年前とは、大学生になりたての僕が上京して初めて入ったオールナイト上映の名画座。
当時、ベスト1映画「ツィゴイネルワイゼン」で映画ファンの話題を独占していた鈴木清順監督の旧作5本立て。
館内は予想外の超満員だった。熱気と紫煙と酸欠でフラフラの徹夜鑑賞だった。
僕はギリギリ10代。
一晩中立っていられた。
はっきり言って期待外れの凡庸なプログラムピクチャー群としか感じられなかったが、それでもリタイアすることなく立ちっぱなしの完遂を果たした。
ざっと7時間半の脱力?苦行。
それが今回はわずか90分。
それでも疲れた。
何度もへたりそうになった。
僕はもうギリギリでも何でもない50代。
自分の顔が見えなかった。
終始、平静に見ていることの出来る映画ではなかった。
いや、それは映画そのものが、ではないのだろう。
僕自身がそうだった。
立ち続け、見続け、確かめ続けるには、僕の時間が経ち過ぎていたのだろう。
最後列、手摺りにすがって見た映画は遠かった。
僕にとっての全ての現実がそうであるように、遠く果てない、漂泊絵図だった。

画面をあまりにも小さくしか捉えられなかった現実もある。
人物の表情が掴めなかった。
言葉がよく聞き取れない箇所も少なくなかった。
だが、それ以上にドラマが無かった。
迫力が無かった。
エネルギーに乏しかった。
アクションやエロスの濃度ではない。
切迫を訴える、パッションに可動する、人間噴出の高温度に満たらなかった。
明るすぎる画調。
適温からブレない空気感。
決して乱れない同テンポでの淡々たる鎮静の流れ。
叫びもうねりも遂には訪れることなく、語らざる映画は薄闇の彼方へ悠久に絶えた。
そこに僕はいなかった。
疲労と混迷と、あてどない置き去りにされた奇妙にソフトな戸惑い・・・。
こうして僕の立ち見は終わった。
僕の映画は、すでにとっくに若くなくなっていた僕を、柔らかく射抜いて笑い去った。

映画出演は初めてではない。
やはりギリギリ20代。3本の所謂ピンク映画に出演した。
いずれも絡みがあった。前張り付きで、アフレコありで、初号試写もあった。
今回は何もない。
僕は脱がず、しゃべり散らしただけで、観客と一緒に初めて完成作を見る。
AVとどこが違うのか?
AV男優である僕は本当に劇場公開の映画に出演したのか?
3本のピンク映画のうち2本のフィルムはもう現存していない。
セリフ一言だけの1本のみが、DVD化もされず廃盤ビデオとしてかろうじて小さく息を潜めている。
23年ぶりの映画と同じか?
小さく小さく、発芽のような、僕の映画は結局変わらないか?
何も誰にも答えてもらえないまま、僕は映画館を出た。
共演者と関係者と、知人に混雑する温和なる吹き溜まりで僕は途方に暮れる。
23年前、3本の映画に僕は恐れなかった。
芝居もセリフも、体力もエナジーも、そしてスクリーンの中の自分にも・・・。
だが、間違いなく、これはAVではない。
今の僕はまずそれにおののいている。
撮影前も、本番中も、そして現在すらも。
その映画が、びくつきっぱなしの僕にとっての、ある意味唯一の盟友たるその映画が、一蓮托生を任せた1本の映画が、その時の僕には小さすぎた。
遠くにありすぎた。
凝視出来なかった。
僕は映画に出たのか?
23年も生きてきたのか?
32年も立ちっぱなしでふらついてきたのか?
僕はその夜の打ち上げにはいなかった。
出られなかったのでもなく、出たくなかったのでもなく、僕はただ分からなかっただけなのだ。
そして頭はすでにその場にはなかった。
映画館に置いてきた。
小さすぎたスクリーンの中に、預けっぱなしにすることで、かろうじて僕はこの映画との絆?縁?鎖・・・一体何と呼ぶべきなのか・・・それを残した。
もう一度見なくてはならない。
もう一度来なくてはならない。
それまで僕の映画は、まだ結実してはならない。
32年ぶりの立ち見は苦い走馬灯に終わる。
「ツィゴイネルワイゼン」で僕に衝撃を与えた"生者の骨"を僕は確かめることが出来なかったのだ。
シナリオを手にして5日、撮影1日、上映90分。
まだ黄泉がえるには早すぎる。
こうして僕は再び"切り通し"に向かった。
4日後、映画館を独りで訪ねた。
立ち見ではなく、今度はスクリーンの真正面に。
視界いっぱいの「子宮に捧げる愛の詩」を前に。

そして・・・結果は仰天に近かった。
僕の映画が、まったく生まれ変わって、何の錯覚もなく僕の眼前に堂々と屹立している。
嫌うべき映画ではなかった。
忘れてしまう作品では断じてなかった。
そこに映画は、生きていた。
僕は思い知らされたのだ。
新ためて卑小さを。
今さらながらの己が無命を。
遠かったのは、酷薄だったのはスクリーンでも映画でもなかった。
僕がそうだったのだ。
32年もかけて僕はその真実をどっぷり浴びせかけられたのだ。

この映画は、僕の目にはあまりにも、孤高に見える。
(つづく)


「鏡で自分の顔を見ることが多いでしょ、役者は。始終見ているとかえって忘れるものなんです。自分の醜さをいつの間にかね。ある日そのことにふと気づく。そして怖くなる。毛穴の奥までのぞいてみたいという気になる。自分はいったいなにものなんだろうとあらためて考えこむんです」
三國連太郎

http://ameblo.jp/shin1baby/entry-11427641318.html



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