昭和枯れすすき

”踏まれても耐えた そう傷つきながら 淋しさをかみしめ 夢を持とうと話した
幸せなんて望まぬが 人並みでいたい 流れ星みつめ 二人は枯れすすき”

甘い歌である。未練たらしい、俗まみれのアナクロな詩である。
馬鹿馬鹿しくなりそうな気分が、しかしなぜか切ない。
演歌が、怨歌に昇華される寸前の、不器用な稚拙さが、どうにも棄てがたい。
心を伝えるのに、凡庸な言葉では、なぜいけないのか。
悲しみを訴える者が、ありきたりな表現しか出来なくて、どうしていけないのか。
歌が泣いていればいい。
歌う者の魂が、号泣していれば、それでいい。
艶歌は呻きだ。怨歌は、慟哭だ。
人は歌いたい歌を歌う。生きることが、歌そのものになる。
そこに貴賤は、ない。

”貧しさに 負けた
いいえ 世間に 負けた
この街も追われた 
いっそ きれいに 死のうか”

僕も貧しさに負けた。心の貧しさに、敗北した。
世間には勝ち負けしかない。心の弱い者は、追われるしかない。
残された美しさは、死だけ。
落伍者達に許された、ただ一つの清らかさは、死んでみせることだけ。
人間は、きれいに生きられないのか。
美しいとは、そこまで残酷で、無情な宿命なのか。

”力の限り生きたから
未練など ないわ
花さえも 咲かぬ
二人は 枯れすすき”

力の限り、とは何を言うのだろう。
人それぞれに与えられた力は違う。自分にどれほどの力があるか、結局誰も分りはしない。
力とは、信じる力か・・・己を信じる、何の証しもない、けれど無限に秘められた、絶対の信念か・・・。
それを失った時、人は諦める。未練も執着も捨てて、笑ってさえみせる。
自分の人生には、何の花も咲かなかった。
所詮、枯れたすすきで終わる人生だった。
それは哀れだろうか。みじめだろうか。
どんな無名の人生でも、力の限りであったはずだ。
死という業の前では、未練などありえないはずだ。
僕も花を咲かせられなかった。わびしい枯れすすきだった。
だけど僕は涙出来る。自分のはかなかった人生を、静かに哀悼出来る。
僕だけの人生だったから。
僕は生きることを与えられて、そこに僕ひとりで、力尽きたから。

”踏まれても 耐えた
そう 傷つきながら
淋しさを かみしめ
夢を持とうと 話した”

耐えることは立派だろうか。
傷付くことが、尊いだろうか。
僕は、そうは思わない。
淋しさを噛み締めるなんて、悪だ。夢を持とう、なんて浅はかな欺瞞だ。
耐える人間なんて醜い。傷付く者なんて、もっと汚らわしい。
そんなものが、あってはならないのだ。耐える者も、傷付く者も、淋しく生きる者も、夢を掴めない世の中も、このままでいいはずがないのだ。
悲しみは、正しくない。
切なさは、少しも美しくなど、ない。
僕は耐えることを強いる者を憎む。
傷付ける者、孤立、区別、叶わぬ夢・・・すべてに歯噛みする。
僕には話す者とて、いない。
慰め合うことは、決して絶唱の讃歌には、あたらない。

”幸せなんて望まぬが
人並みで いたい
流れ星 みつめ
二人は 枯れすすき”

幸せとは、何だ?
人並みとは、どういう有り様だ。
それが見えないから、悲しい。常に流れ星のように、遠くを過ぎ去っていくだけだから、たまらなく愛しい。
僕は人並みなど望まない。ただ幸せは今でも欲しい。
どちらも見えていないくせに。星空を見上げる素直ささえ無くしているくせに。
幸せも、人並みも分らないまま、死んでしまう運命。
やるせないだけだ。
じっと黙って・・・唸っているだけだ。いつまでも、いつまでも・・・。

”この俺を 捨てろ
なぜ こんなに 好きよ
死ぬ時は 一緒と 
あの日決めたじゃないのよ”

僕は、捨てられている。
好き、などと言われることは、二度と巡ってこないだろう。
誰かと決めたことなんて、ひとつも守られなかった。自分が決めようとしたことが、一つ残らず流れ去ってしまった。
僕に決まっていることは、もう死だけだ。
そして、後は生きて行くという、捨てられた人生がほっとらかしにされているだけだ。

”世間の風の 冷たさに
こみあげる 涙
苦しみに 耐える
二人は 枯れすすき”
         作詞山田孝雄

世間の風は冷たい。
人間は、どうしようもなく、みんな冷たい。
涙をあふれさせて僕は訴える。
花も咲かない人生の一人として、僕は代弁する。
きれいに、など死にたくない。
未練など、ありすぎて、たまらない。
夢を持とうなんて希望もついえた。
幸せも欲しい、人並みでいたい。
死にたくない。
誰とも死にたくない。
二人で、生きたい。
愛し合って、生きていきたい。
これが本当だ。
泣いて生きている者たちの真実の姿だ。
それなのに耐えるだけ。
死ぬまで苦しみに耐えて、枯れるだけ。
これでいいのか。
こんな世間でいいのか。
人間でいいのか。
生きることが、いつまで、こんな耐え難いものであり続けるのか・・・。

この詩はどこまでも通俗な響きだ。
だから、いい。
人が死ぬのは平凡。弱い者が打ち棄てられるのは、何の変哲もない、ありふれた事実。
つまらない歌でいいのだ。
人間は、人生は、本当につまらないものなのだ。
それを嘆いて、どこがおかしい、どうして阿呆らしい・・・。
僕も、間違い無く、つまらない人間だ。
だから、歌う。
悲しく聞く。
だらしなく生きる。
愚劣な酔いをあおるように、僕はとことん、地を這って、下手な歌に自傷していたい・・・。

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この記事へのコメント

2006年07月09日 16:30
はじめまして。辻丸さんのことは、ベイビーエンターテイメントの
サンプルで知りました。
わたしは会社で虐めに遭い、2年前にオーヴァードーズしました。
今は復帰していますが、虐めはときどきあります。
病院や街中で錯乱したりすることもあります。
何で生きているのかよくわからない時もあるし、
電車や街で無礼な人たちとすれ違うだけで死にたくなる時も
あります。
わたしもしょっちゅう自分を嫌いになります。でも、自分だけが
何の見返りも求めずに愛してくれるたったひとりなんだって
思うと、嫌ったら可哀想だって気持ちを持つようにしています。
辻丸さんの日記読んで、AV男優に対する見方が変わりました。
いなくなったら寂しいですよ。
つじまる
2006年07月09日 19:41
ありがとう。
ありがとうございました。
また、いつでも・・・。

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