あれから五か月~本当を生きる~

「舞台上では何が起こるか分らない。稽古で作った設計図をなぞるのは演技ではない。それは演技もどき、演技のふりをしているだけなのだ。瞬間を生きることが演技の生命なのだ。設計図をなぞらないことが生命だ」

山崎努氏の「俳優のノート」(メディアファクトリー)から、である。
「AVアイドルを舞台に上げてヤジとイジメで犯しまくる3」(甲斐正明事務所)についてである。
AVは舞台ではない。瞬間の演技など本来は必要とされない。
ドラマ物なら演技もどき、ドキュメント仕立てでも所詮演技のふり。
しかし設計図通りでは面白くないこと、そのままでは作品としての生命が灯らないことはAVも演劇も変わらないのだ。
AVは瞬間のエロを求められる。
もどき、でも、ふり、でもない本気の性を要求される。
性とは命が育むものだ。生命の燃焼がなくては、性の沸騰もあり得ないのだ。
AVとて瞬間を生きるしかない。
何が起こるか、一寸先も分らない無力な人間には、そこにしか命の噴出はない。

「外部の人たちの意見で芝居を変えてはならぬ。変えるのならば演出家の了解を得ること。毎回新鮮に演ることと勝手に芝居を変えることとは違うのだ。外部の関係者はとかく半可通でとんちんかんなことを言うものなのである。我々がひと月半かけて作ったことを信じることだ」

AVに外部の意見などほとんど入らない。
半可通でトンチンカンなことすら、誰も言ってはくれない。
勝手にしろ、の世界なのだ。他人のAVなど、どうでもいいのだ。
自分が見たいAVになると誰もがやたらとこだわる。恐ろしいまでの執拗さで、己の嗜好を押し付けて来る。だが、これは我欲のリクエストであって、批評でも提言でもない。
だからAV男優は皆、自由にやる。
場合によっては勝手に芝居を変える。
結果オーライだ。ひと月半どころか、常にぶっつけ本番を課せられた者の、それがプライドと抵抗だ。
僕も自分の仕事に意見されたことなんて、ない。
我々、ではなく、いつも自分一人の感性を信じてやるしかない。
AVは、孤独なんだ。
男優も監督も、孤独に撮っているんだ。
「ヤジとイジメ~3」の現場で僕は孤独だった。監督はもっと孤独だった。
僕は新鮮に演れただろうか。勝手に芝居を、つまり方向性を変えやしなかったろうか。
監督は何も言ってくれなかった。撮影前も、撮影後も、微笑だけだった。
それが監督の演出なら僕に言うことはない。
だが、あまりにそれだけでは、信じるものがどこにもない。

「舞台稽古で絶句した俳優も失速。安全運転になっている。恐怖に負けるな。頑張れ。安全運転など誰も観たくないのだぞ。醜悪だ。演技する意味がない」

僕に安全運転は、ない。元々、ちゃんとした免許も持っていない。
暴走か、エンストか。
追突か、違法駐車か。
いずれにしても破綻だ。僕にハンドルを握らせて目的地へ無事に到着出来た試しはないのだ。
僕に示される終着点はいつも醜悪だから。
誰も見たくなくなるような、不毛の帰結だから。
僕の恐怖は、こんなことを繰り返している自分自身への恐怖だ。
それを振り捨てるために、僕は相手の女優の前で、鬼畜になるんだ。

「終演後鵜山(演出家)に、彼(出演俳優)よかったな、と言うと、ええ、でもまだ人を愛する温度が全然低い、と素っ気ない。相手役への愛情が足りない、それはテムポや弾みの問題ではない、ということなのだ」

温度の差。
「ヤジとイジメ~3」の現場で、つくづく感じた。
本気の論客が少ないのだ。有名な者ほど、どーでもいい、がアリアリなのだ。
AVなんてどーでもいい、AV女優なんてどーでもいい、ヤジなんてどーでもいい・・・。
だが、最も強かった「どーでもいい」は、舞台上の女の子に対して、そしてこんな子にこだわる監督に対して・・・どーでもいい!ではなかっただろうか。
愛情。
女優に対する愛情。
論客達と監督との間には、この温度差があまりに決定的だった。それがそのままこの作品のテーマにすらなってしまっていた。
僕も正直、愛情が足りていない。
監督との温度差を嫌というほど感じないではいられない。
これも演出だったのか。
最初から監督は自分一人だけの愛情で充分だと思っていたのか。
誰の愛も不要の、一対一の関係に固執するつもりだったのだろうか。
僕には分らない。何も教えてもらえなかったことが、何より歯がゆい。
僕は、どーでもいい、では決してないつもりなのだが・・・。

「朝起きた時、今日はうまくいくぞ、と思う日がある。理由のない奇妙な高揚感。そんな日は早く舞台に行きたい、早く演りたいと時計ばかり見ることになる。そしてそういう日は百パーセントうまくいく。実はきのうがそうだった」

AVに限らず、僕にこんな日があったろうか。
今日は女性とうまくいくぞ、早く会いたい、早く二人の世界に没入したい・・・。
このような高揚感は僕には無縁だ。
理由は単純。僕は愛されたことなど、ないからだ。

「今日はその逆で妙に気が重い。こういう時はただ待つしかない。何かのきっかけで突然やる気が起きるのをじっと待つ。意図的に気分転換を計っても、あのうきうきした気分は作れない。酒を飲んだ時の高揚とも違う。もっと静かで深いところにある不思議なうきうき感なのだ。舞台袖から出て行く瞬間にそれが来ることがままある。だから今日のように気持ちが沈澱している日でも焦らずに待つだけだ」

うきうき・・・そう、あの不思議で至福なワクワク感。
若い頃はともかく、今はもうどこにもない。AVにしろ日常にしろ、何に臨むにあたっても、妙なくらい気が重い。
生きているのが、重いのだ。この上、何かに挑もうとするなど、とてつもない重圧なのだ。
僕のやる気は焦りだけ。憤りだけ。不貞腐れ、だけ。
そして自虐・・・。
だから分らないのが余計に困る。
どうしてこの子なのか、なぜこの子を追い詰めなければならないのか、その展望が見えてこない現場では、のたうち回りようもない。
イジメるのは女優だから。
監督をヤジるわけではないから。
もっとも作品の結果こそが監督を最大にイジメるのがプロの世界。AVの定義。
自虐の共有なんて所詮、無理だ。
僕はただ、少し寂しいだけだ。
監督は、女優と二人で道行出来るから。
普通にモテる男は、皆そうだから。

「稽古後半から同じパターンの夢をよく見る。ゆうべの夢もそうだった。「リア王」のある場面。登場人物は四、五人。皆、呆然と立ち尽くしている。何を演ったらいいのか分らないのだ。せりふもない、どんな場面なのかも分らない、困った困った。いゃ焦るな、何とか芝居を組み立てるんだ。まずリアから怒り出したらどうだ、道化がそれを冷やかす。しかし何に対して怒るんだ、誰にどう怒るんだ?分らない。そもそもこの前はどんな場だった?分らない。困った困った。皆、パニックになりかけてるぞ、何か考えるんだ。どんな難問だって解けないはずはないんだ、今迄だってたくさん難問を解いてきたじゃないか、自信を持って、考えろ、考えろー、という夢」

「ヤジとイジメ~3」の大半がこうではなかったろうか。
皆、考えて、考えてるふりまでして、結局呆然と座ったまんまではなかったろうか。
困っていたのは監督だけではない。誰一人、自信など無くしていたとしか、言い様がない。
この作品はどうなるんだ?
こんなことして、どんな結果が出るんだ?
我々は何のために、ここにこうしているんだ?
腹も減った、トイレにも行きたい、ケツも痛い、暑い、暑い・・・・。
AVは、夢ではない。
おぞましいほど卑小な、現実でしかない。

「何度もみているうちに、これは夢で、実際にはこんな場面はないのだ、と夢の中で分るようになった。しかし、それでもまだ必死に考えている。恐怖もあるが考える楽しみも少しあるという妙な夢。結局いつも苦しんでいるままで終わるのだが」

演劇には台本がある。鍛えられた俳優と、入念な稽古がある。
AVには何もない。その場の、ありのまましか、ない。
こんな恐怖、こんな無謀。
それを皆忘れて、楽しもうとする。平然とした顔で、さあイジメで下さい、泣かせて下さい、と指示する。
打ち合わせなどいらない。互いをさらけ出すことも必要ない。
各自が勝手に苦しんでみせる。それでAVは成り立ってしまう。
それでいいのか。
永遠に、AVはそういう世界で終わってしまうのか。
僕は、やるせない。
孤人のままの、産みの苦しさと苦い快感は、あまりに切ない。

「感動した?いや僕は、私は、身体を貸しただけです。本がそうなっているんです。本に書かれてるんです。本当にそうなのだから。全てが戯曲から生まれたのだから。観客の拍手は戯曲にお返しする、そうありたい。批評性などと言っている間はまだまだ駄目だ。本当にそう見えたこと、本当にそう感じたことをやればいい。批評性、独創性、そんなものは全て結果だ」

AVに本はない。全てを生むものなどどこにもない。
AVは人間から生まれる。そのAVに身体を貸した、人間全てから出来上がる。
だとすれば、本当に見せるのも人間で、本当を感じさせるのも人間だ。
批評性も独創性も人間共の結果だ。
僕は「AVアイドルを舞台に上げてヤジとイジメで犯しまくる3」というAVに身体を貸した。そのAVの中で本当に生きようとした。
僕は見えたまんまだ。感じ取られた通りだ。
監督でも女優でもない。
僕は僕だけの本当を生き抜くしか、AVに自分を託すことは出来ないのだ。
僕は、ひとりだから。どこでどう生きようと、常に死ぬまで蚊帳の外だから。
実際、発売されてからもう十日弱?
まだ届いていない。二回も電話してくれたのに、今だ送ってもらっていない。
見せることもないってことか・・・後回しってヤツか・・・・。
僕が生きる本当なんて、全てこうだ。
これが僕のAVなんだ。
AVは、冷たい現実の、残照なんだ。


追記・・・・これを下書きした翌日、サンプルが届いた。だが、正直、気分は萎えていた。
いつもこうだ。タイミングが最悪なんだ。
書き直すべきか・・・いや、やめた。このままで載せることにした。
十日待たされた思いは変わるものではない。二回もかかってきた電話は何だったのか、という憤りは、簡単には癒えない。
僕は少し時間を置いてから完成品を見るだろう。
ここまで乾き切った現実を前に、僕はグジグジと寄り道してみせるしかないだろう。
AVはとことん僕をイジメる。
僕が生きる本当を、誰も知りやしない。

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