AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS あれから四か月〜AVに貸す〜

<<   作成日時 : 2006/04/18 14:14   >>

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「要は役の人物の存在を信じることなのである。リアに自分が滑り込む。リアに身体を貸す。それはどちらでもよい」

山崎努氏の「俳優のノート」(メディアファクトリー)である。
「AVアイドルを舞台に上げてヤジとイジメで犯しまくる3 持田茜」(甲斐正明事務所)についてである。
タイトルが変わるかも、と小耳に挟んだ。結局、シリーズ第三弾、という体裁になった。それは営業戦略か、それとも監督のこだわりか。
完パケを見ていない以上、僕には何とも言えない。

「ともかく、自分が蒔いた種は全て芽を吹き花が咲いた、と思う。細かなことはもういい。今咲いている花だけで充分だ。もう自分を疑わぬこと。自分は自分のリアを作った。自分の持っているもの全てを使って作ったのだ。これしかないのだ。リアはもう自分の血の中に入っている」

舞台稽古間近の俳優の心理。
本番直前のAV男優とて、この端くれ程度の覚悟は常に出来上がっている。
舞台稽古で演技が飛躍的に進歩するなんてことは、まずあり得ない。
それ以上に、AV男優が一つの現場でその技量を一気に向上させるなんてことも、ほぼ起こり得ない。
我々は毎日が本番だ。稽古も本読みもリハーサルも存在しないのだ。
ぶっつけ本番でもない。ありのまま、に自分を任せるしかない。
花ではなく、ただの枝。何の実りもなく、好き勝手に伸びっぱなし。
だが、自分を疑っては仕事にならない。自分の持っているもの全てを使って男優を作らなければならない。
男優は、なるものではないのだ。
AV男優は、天も地もなく、そこにいなければならないのだ。
AV女優も、そう。彼女達はAVに出るのではなく、すでにAVの中にいるから、AV女優なのだ。
そんな彼女達に疑わせること。
AV女優を、AVを困惑させること。
それが僕の仕事だ。僕は、「己を疑っている」自分を信じる、AV男優なんだ。
「ヤジとイジメ〜3」の彼女は、自分を疑っただろうか。己を信じてあの舞台に立てただろうか。「自分を信じる」己を疑っている、AV女優では、なかっただろうか・・・。

「確かに育ててきた花は咲いてくれたのだと思う。しかし設計図通りの花壇ではいくら花が咲いてもだめだ。もっと自然な庭にしなければならない。雑草も生えている庭だ。思いもかけない草花が思いもかけないところに咲いている庭だ。雑草もきれいだ。雑草を生やすこと。だが、これは種を蒔くわけにはいかない。生えてくるのを待つだけだ」

僕は言葉嬲りの設計図などは書かない。意図的に種を蒔くようなこともしない。
僕の罵りは、ただの雑草だ。何の花も咲かせない、とるに足らぬ、言葉のゴミだ。
しかし雑草はどこにでも、自然に、いつの間にか生えてくる。
僕にとって撮影現場は、どこにでもあるのだ。
AVは、僕の感じる自然なんだ。
いつの間にか、僕はAV男優としてそこにいるのだ。
僕の雑言は常に澱みなく生えてくる。自然のままに、いくらでも湧いてくる。思いもかけない枝葉が、どんなにでも溢れてくる。
僕はゴミだから。ゴミは怨念と妄執と、煩悩の腐乱物だから。
AV女優は、どこまでも花でしかない。美しい華を咲かせ、散ることも踏みにじられることも考えてはいない。
雑草は、まいらないのだ。
「ヤジとイジメ〜3」の僕は、決してまだ刈られてはいないのだ。

「成功したいか?したい。ならば失敗も覚悟しろ。大成功したければ大失敗も覚悟しろ。飛び込むのだ」

僕の仕事の成功とは、何だ?
涙か、怒りか、叫びか、レイプか・・・。
「ヤジとイジメ〜3」には確かに野次もイジメも陵辱も存在した。彼女は号泣し、激怒し、絶叫して、集団暴姦された。
しかし結果は、まだ出ていない。裁定も判決も下されてはいない。
それでも僕は予感する。
僕に成功はないだろう。大成功なんて終生、巡り会えないだろう。
彼女は誰のものでもないから。
AV女優は、いかなる形でも現実には存続してくれないから。
舞台上の、戯曲内の、古典的なキャラクターと、ほとんど変わりはない。
一瞬のきらめき。つかの間の命。瞬きの灯し火・・・。
「ヤジとイジメ〜3」の中の彼女は、成功も失敗もない彼女自身だ。そしてとにかく、すでにもう、過去のものでしかないのだ。
四か月前に咲いた彼女。四か月前に実った彼女。
AVは、それでいい。AV女優はもちろんそれで全然問題ない。
過去になり切れていないのは僕だけだ。
飛び込んだまま、なお泥の底でもがいているのは僕一人だ。
僕はどんな成功を夢見ているのだろう。
失敗なんてあまりに僕の人生全体過ぎて、到底自覚する神経が磨耗してしまっているのだろう。

「リアは居るか。居る。よし、明日はリアに身体を貸すのだ」

彼女は「ヤジとイジメ〜3」の中に居る。もうすぐ、五月一日発売を前に、その姿を感じ取ることが出来る。彼女が心と身体を貸した、「ヤジとイジメ〜3」のモチダアカネ・・・。
僕は居るか。居る。明日も今日も、AVの内にも外にも、僕は心と身体を貸しまくっている。
ボクという僕。
ダンユウという僕。
ニンゲンという僕。
僕は一生貸しているんだ。
自分ではない、断固として己ではない、何か理不尽なものに、出鱈目なものに、下劣なものに、僕は運命を貸しっぱなしで・・・・消えていくんだ。

「俳優にはふた通りのタイプがあって、あがったり不安になったりした時、窮鼠猫を噛む式に攻めまくるか、プレッシャーに負けて守りに入ってしまうか、極端に分かれるようだ。言うまでもなく守りに入ったら死んだも同然である」

僕は死んでる。それも貸してるうちだ。
彼女は守りに入らない。AV女優はひたすら攻め続ける、女の生命体としか言えない。
「ヤジとイジメ〜3」の中の彼女は、立派に生きている。

「やれやれ。本当にやれやれである。我々俳優の頭の隅にはいつも初日の恐怖がある。役を貰った時からである。役作りが楽しくて舞い上がっている時も、稽古がうまく行かず落ち込んでいる時も、いつも頭の隅に初日の恐怖がある。とにもかくにも、その初日が終わったのだ」

やれやれ、やれやれ。
毎回が初日のAV男優にとって、出演VDの発売くらい、やれやれなものは、ない。
ほとんどの男優が忘れるからだ。大抵の男優は忙しくてろくに見ないからだ。
でも僕にはその初日がある。
恐怖に満ちた自分の判決を宣告される時を迎える。
自分でそうしているんだ。そこまで貸すのが、僕の流儀、いや人生なんだ。
AVが僕に滑り込む。AVに己を貸す。そのどちらでもいい。
「AVアイドルを舞台に上げてヤジとイジメで犯しまくる3 持田茜」の初日は、もうそこだ。

彼女がどこまで貸したか。
僕がどこまで貸したか。
監督はどこまで貸したか。
みんな何かを信じた。
それだけは、確かなのだ。

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