AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS 「劇場版501」の感想、なんて嘘(完全ネタばれ)・・・501遺文E

<<   作成日時 : 2016/03/02 11:50   >>

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頑張らなくてもいいけど、頑張ってもいいよ。でも・・・頑張れなくても、いいんだよ。





「劇場版501」の感想、のつもりです。
完全ネタばれですので、未見の方は御注意下さい。


「劇場版501」は、4回見た。
最初のバージョンを2回。
再編集バージョンを1回。
再々編集バージョンを1回。
それぞれの感想を一言で書くと。
1回目「つまらなかった」
2回目「スッキリした」
3回目「分かりやすくなったけど、これでいいのか?」
4回目「・・・切なくなった」

初見の「つまらなさ」は、ごくごく単純なことである。
自分の出番が少なすぎたから。
最も思い入れを込めた部分が丸々カットされていたから。
一番見たかった展開シーンがほとんど残っていなかったから。
劇映画に限らず、出演者の本音なんてこんなものである。
少しでも長く自分が映っていたい。
誰よりも目立っていたい。
自分が関わった部分だけをとことん楽しみたい。
つまり作品の客観的評価など二の次なのだ。
駄作と言われようが、自分だけ褒められればいい。
世間から無視されようが、己が満足出来れば・・・構いやしない。
だから僕にとって「劇場版501」はまず「つまらなかった」。
他の誰がどう映っていようがどうでもよく、1分にも満たない?己の扱いに失望した。
1年半以上も完成を待たされて、たったアレだけ?
だから即「つまらなかった!」

ところが翌日見たら一変した。
一晩で手直しした?と疑いたくなるくらい、印象が変わった。
前夜、あれだけ冗長に思えた前半部分(今のるなチャンのシークエンス)が快調で、中盤の混沌シークエンスがリズミカルでイイつなぎとなり、ラスト部分(未来のるなチャンのシークエンス)に深みが増していた。
同じ映画を再見して、こうまで印象が変わったのは初めてだった。
もっとも二日続けて同じ映画を見るのも初の体験だったが。
けれどこの奇妙な心境もまた、ある意味簡単なことかもしれない。
初見での諦めから来る、一歩も二歩も引いた視点が、半ば投げやり気味のどーでもいい気楽な気分が、作品をいい方向に矮小化?し、たかが映画、の立場から一人の余裕ある観客として適当に受け止められるようになっただけかもしれない、と。
いや、多分そうだろう。
そしてもっと、そうだろう。
二人のるなチャンも、五人の女優も、監督も「501」も、もはや大した思い入れも持てなくなっていたからこそ、僕は映画として、作品として、招待客として、つまりタダで見れたからして、暇つぶしとして・・・何のわだかまりもなく穏便に?見終えることが出来たのだ。
もし1800円ボラれていたら・・・分からない。
大体「スッキリ」はしたが、では「面白かった」のか?と問われたら・・・やはりよく分からない。
どうしても、単純に言い切れない。
そこが良くも悪くも現実の出演者である僕の、不運と特権?なのだ。
(ちなみに初見は入場料を払ってみた。ただし正月割引で1000円だったから)

それから二週間後の3回目(招待席で)。
10分近く追加され編集も若干手直しされたバージョンを見て思ったことは・・・。
確かに分かりやすくなった。
そして「面白くなった」。
そう、今度こそ、ストレートに、一本の作品として「面白い」と素直に感じた。
だが、同時に違和感が沸いた。
どうにもこうにも、居心地の悪さのようなものに捕われて仕方なかった。
面白くていいのか?
「劇場版501」がこんな・・・当たり前に、辻褄の合った、平易で面白い作品になって・・・本当にいいのか?
僕はほとんど映ってないのに。
あの子もロクに映ってないのに。
あのシーンもまったく残ってないのに。
そもそも皆・・・馬鹿にされてるだけだというのに。
るなチャンも、ナンパされる女達も、五人も、フォロワーも、裸の男共も、未来のるなチャンも、間違いなく人間に虐殺されて食われてしまうだろう豚も、格差ありありのAV女優という存在も・・・。
カッコよく見えるのは、監督だけ、そのカノジョだけ、プロデューサーだけ、一瞬華やかに映るアイドルグループだけ?
そんな実像をテレ隠しするような、言い訳編集、補足テロップ、後付けバージョン。
それでもこちらの版に一番納得してしまったのは・・・やはり撮られた側の弱味だ。
決して撮り直すこともハサミを入れることもスクリーンを遮ることも出来ない、負け犬の遠吠え。
中盤の大会シーンが増えて良かった。
豚の顔射が見れて良かった。
未来のるなチャンの隠れた事実を知れて良かった。
色々な背景が分かりやすくなり、一般の観客により理解と支持を得られそうになって、上映拡大が期待出来、そうなれば例えわずかの出番でも自分の名前を売るには好都合の宣伝となり・・・・有名になりたい?もちろん!
面白い、というより、これは打算的満足度が増した?
得した気分が強くなっただけ?
「劇場版501」ってこんな映画だったか。
僕はこんな「劇場版501」を1年以上も心待ちにしていたのか。
そして一応の満足に達しているのか。
馬鹿にされてるだけだというのに・・・みんな。

かくして一月後の4回目(招待席)。
僕の印象はまた変わった。
つまらなくもなく、でもスッキリとはいかず、面白さもホドホドに、でも・・・これで、もいい・・・という気分に辿り着いたその着地点は。
切ない・・・。
どうしようもなく、「切ない」。
なぜだろう?
これは映画だから?
AVじゃないから?
ヌけないから?
それもある。
僕が男優だから。
彼女達は女優だから。
ほとんどの観客と、つまり映画を見ている人々とは、違う違う存在だから?
本来ならAVでしか見られないはずの人間達が、18禁であろうと映画という媒体から遠い遠い存在でしかない者どもが、そんな輩ばかりが、そんな屈折した連中しか、この映画には出てこない。
そして彼女彼ら達は、ひたすら食ってヤってしゃぶってしゃぶられて、脱いでアエいで、かけてかけられて、最後には皆なぜか満足そうで、いやそうでもなさそうで、強がって弱ぶって、プライドばかり高そうで上から目線で、でも不安そうで臆病そうで、前向きのようで諦めてそうで、闘ってるようで逃げてるようで、ひたすら何かに脅えて何かから必死で逃げ回っているようで、だからこの業界にとどまってるようで、こんな業界でしか生きられないようで、そんな自分を嫌というほど思い知ってるようで、だから彼女彼らの、僕の僕らの合言葉は、行きつく先の共通ワードは・・・「人を頼らないこと」。
そして「・・・なんて嘘」。
そう、何もかもが、本当は・・・・大嘘。

この映画を、「劇映画」ではない、「ドキュメント」だ、つまり"現実"の記録だ、と誰に言えるだろう?
事実、未来のるなチャンのナンパは仕込みだ、という指摘もあった。
そして僕自身、初めてここに明かすが(大したこともないが)、あるシーンで監督から"やらせ"を"芝居"を要求された(劇場版には残っていない)。
ひょっとして全てが"演出"かもしれないのだ。
最初から街頭ナンパも501発の顔射も企画目的にはなく、ちゃんとセリフ入りのシナリオがあって、るなチャンは投げ出した演技を真面目に頑張り、声かけの女性も内トラ、顔射大会も全員仕込み、五人にも企画女優としての適性なギャラが支払われ、絡みやフェラの回数も事前に決められ、豚の射精ももちろん擬似で、未来のるなチャンはシナリオどおりにセリフをトチり、自宅ではなくスタジオで汁男優に生フェラし、ラストの監督顔射もゴムフェラ擬似ザーメン、カノジョ役の女性スタッフ(ひょっとしてメイク係?)の後姿を近場の海岸でADに撮ってきてもらい、ラストは最もギャラの高い単体女優の事務所を拝み倒してチラリイメージシーンだけを短時間で追撮して何とか締めくくって・・・。
こうではないと、どうして断言出来るだろうか?
501はAVとしてスタートした。
AVとして女優も男優も出演した。
AVとして発売される。
最終的にはAVとしての売り上げが全ての回収につながる。
だから501は嘘だ。
AVだから嘘だ。
みんな、言ってるじゃないか。
AVはファンタジーだ、と(監督との初現場で僕も散々言われた)。
だから真似しちゃ駄目よ、と。
信じちゃ駄目よ、と。
誰よりもAV女優がそう訴えているじゃないか。
そんな女の子達に向って世の男共は、日夜本出しの射精を繰り返しているじゃないか。

僕が4回目にして「劇場版501」に感じた「切なさ」。
それはAVの「切なさ」。
僕が信じる「AVという切なさ」に他ならない。
「劇場版501」と比較され、僕が見たドキュメントAVと言えば「劇場版テレクラキャノンボール2013」と「わくわく不倫講座」だが、この二本からはそんなAVの切なさはまったく感じ取れなかった。
だから僕はこの二本を再見する気にならないし、興味も持てない。
「テレキャノ」は王道娯楽映画とでも呼ぶべき底無しの明朗さと、男目線のみによるメデタシメデタシの無責任思考。
「わくわく」は所詮好き勝手ヤリチン男の、いい気なもんだ調ナルシス自薦プロモ。
「テレキャノ」の食糞も「わくわく」の男同士のキスも、僕には悪趣味で安っぽいだけのアザとさ、としか感じられなかった。
そこには確信犯的なまでの、商売至上主義に徹した、ポジティブの押し売りと、マイノリティー気取りの高慢さが嫌というほど充満している。
AVに切なさなんていらない。
そんなものじゃ儲からない。
そんなんじゃ目立てない。
そんなもの出してたらファンの女の子が寄ってこない。
プライド高き素人女が食われに来ない、群がってきてくれない。
無論、「劇場版501」にも沢山の人々が群がっている。
食われたくて、取り巻いている。
スクリーンの中の同性を嘲笑い、監督可愛いカッコいい!から全て許し、そして自分こそはアタシだけは、○○○さんに食われ・・じゃなくて、絶対そうじゃなくて!愛されて、私一人だけが愛してもらって・・・。
だが、「劇場版501」は明るくない。
メデタシメデタシで終わらない。
思考迷妄で、どこにも確かな道がない。
ヤリチンだろうにカノジョだけは、顔すら映さない。
タイプじゃない女優でも、生理中の女優でもヤるのに、心が通じた?女優とはヤらず、優しく大事に安全圏へ戻してやる(ひょっとしてヤってるかもしれないが・・・)。
自画撮りも多いし、みっともなくもカッコよくもカノジョに向って仕事と言う名の"浮気の失敗"を「アイツむかつくんだよ!」と号泣してみせるけれども、ラストには充足した達成感などまるで見せない見せつけない。
「ロッキー」のようなAVを撮るつもりでスタートした501だったのに、「テレキャノ」こそ「ロッキー」であり、「わくわく」だって裏「ロッキー」みたいなものなのに、結果はどこにも辿り着けていないのではないか。
「ただのチンピラ」ではないことを証明しようとして15R戦い抜いたロッキーに感動し憧れて撮り続けていたはずなのに、たった一人の、昔からよくいる我儘女優に挫折し、大勢を巻き込んで開催した顔射大会も高揚の気分には程遠くて控室から出る気にもならず、豚の顔射ですら関心無さげに距離を置き、遅れて映像で確認するだけ、そしてラスト、強引に落とした特殊ネタ頼りの締めもやはり、翌日の海上に浮かぶ何物かの如きモヤモヤ感が残るばかりで・・・。
もうどうにでもしてくれ!の弱弱しい足掻きと裏返しの自虐ごっこ?が、唯一本作でヌケそうな、つまり最もAV的な単体イメージカットに逃げ込み、されど隠し切れない本音は、他人の口を借りての、嘘、嘘、大嘘、と果てしなく繰り返されるエンディングテーマ・・・。
監督だってポジティブな人である。
でなければ多忙極まるAV監督で生きていくことは出来ない。
そしてエロ業界人なら当たり前だが、ヤリチン。
カノジョが何人いようが、昨日誰とヤっていようが、同じベッドで今日も会ったばかりの女とハメる。
仕事と称してハメる。
撮影という大義名分でヤる。
そしてカメラが不要な時は向こうから素人が食われに来てくれる。
目立ちたくない見世物になりたくない、と言いながら、よく喋る、とことん語る、人前に出たがる、女性を揶揄する、時には中傷さえする、とんだ女性蔑視、それでもモテる、なぜか素敵!と女達が、AV女優ではない、普通を冠するマイノリティ女性達から圧倒的に思慕される。
けれど少なくとも「劇場版501」には「テレキャノ」の職人芸に近い巧妙さも、「わくわく」の露悪的な開き直りの驕慢ぶりも、そして何より毒香で誘うカリスマ目線からの洗脳的な策謀術はない。
「劇場版501」が前記二作ほど女性層の支持を受けていないとすれば、その馬鹿正直な稚拙さと、人畜無害的な薄っぺらきズルさのせいだろう。
カノジョを映さない、ムカついた現在のるなチャンとはハメない、どう見てもキモく感じている未来のるなチャンともヤらない。
初版に至ってはあれだけ煽りに煽った顔射大会の結果をたった一行のテロップで済まし、豚の顔射などカケラも残さず、ノーギャラで本気で頑張った五人の無名女優達の真情を無残にも切り捨てて顧みない。
僕が3度目で感じた違和感の最大はコレであり、つまり追加シーンも説明テロップも、白々しさ剥き出しの虚飾塗装にしか見えなかったから。
だがそれくらい、厚顔無恥なまでに、監督は己の出鱈目さを隠さない。
とことんAV監督の卑怯未練っぷりを露呈し、天然なまでに恥じまくっている。
それはまさに、格闘技を気取る"ドキュメントAV"に逆らい、自らリングに大の字となって誰でもない誰かに(自らのカウントで)フォールされるという、何でもありのプロレスでもタブーとされそうな観客無視の"負けっぷりだ"。
かくて「テレキャノ」や「わくわく」において巧みに隠蔽された大人のしたたかさと薄汚さを、AV業界人の卑小で醜悪な本音を、何の覚悟もなく晒してみせているからこそ、「劇場版501」は僕にとって切ないし、何度でもまた見たくなる奇妙で生々しい無垢の魅力がある。
だから前記二作ほどはウケない。むしろ否定されている(されたがっている?)。
自称"ドキュメント"AV監督から、自称"AVに精通した"知性と教養深し女流陣から・・・。
でも僕は、やはりこんな男優だ。
やるかやらないかの人生だったら、やらない方を選ぶ。
○○失格、といった偽善極まる売り文句には嫉妬を込めて反吐が出る。
身内びいきと言われても当然。
「劇場版501」も所詮は嘘で塗り固めたドキュメントと言う衣の商品と自覚したうえで、あえて書く。
「劇場版501」は哀しい。
AVだから哀しい。
女優たちが哀しい。
男はどうでもいい。
それこそ偽善と言われても、僻みと誹られても、僕は哀しくて切ない。
だから今となっては、自分がろくに映ってなくてよかった。
他人事だから、哀しいんだ、きっと。
僕は大したことを何もしていないから哀しんでいられるんだ。
何も頑張っていないから、人のことを傲慢にも憐れんでいられるんだ。
だから、頑張れよ・・・ではなくて、やっぱりこう考える。つぶやきたくなる。
頑張れなくても・・・いいんだよ。
なんて嘘?
それは否定しない。
誰だって、何もやってなどいない人生なのだから。
やってる気でいるだけなのだから。
失格などとカケラも思ってなどいないのだから。
いくら誰かに泣いてみせても、同時に別の女と何股でもかけてるのだから。
なんて嘘・・・・?

4回目にして、僕がかくも混濁した、ほとんどニヒリズムに近い「切なさ」に埋没してしまったのは・・・深入りしすぎたから?監督の"宇宙"に。
たかが4回ぐらいで?もっと何回も見た映画もあるのに。たとえばタルコフスキー、たとえば「日本の悪霊」、たとえば「ラストコンサート」、たとえば「ランボー 怒りの脱出」・・・。
「ストーカー」・・・自分の本性なんか見たくない!
「日本の悪霊」・・落とし前ってやつに時効は無ぇ。
「ラストコンサート」・・彼女は星になった。
「ランボー 怒りの脱出」・・日々を生きるだけです。
それとも・・・結局のところ「劇場版501」が何なのか、今だに分からないから?
AVが分からないから?
女が分からないから?
僕が、何も分かってなどいないから・・・。

♪君だけを愛するなんて嘘
君だけを抱きたいなんてのは 大嘘♪

ドキュメントAV監督なんて皆そうだ。
AV男優もそうだ。
つまり男はそうだ。

♪ひとりぼっちじゃなくなるなんて嘘
ひとりぼっちじゃなくなるなんてのは 
大嘘♪

人間そのものがそうだ。
誰だってそうだ。
だのに信じたがるんだ。
洗脳されたがるんだ。
ドキュメントAVみたいに。
世の中みたいに。

♪心は2粒さ
涙が1粒に
気持ちは気持ちを包むだけ
なんて嘘♪

自分の気持ちは結局自分で包むしかない。
それはエゴにもなる。
商売にもなる。
でも、愛にもなる。

♪1番のAメロの歌詞は 大嘘
1番のBメロの歌詞も嘘
1番のサビの部分の歌詞は 大嘘♪

僕にとってAメロは「テレキャノ」
Bメロは「わくわく」
1番のサビの部分は・・・AVという欺瞞。

♪ひとりで産まれて
ひとりで死ぬのさ♪

この歌を最初に聞いて憶えたのは、♪なんて嘘♪、とこのフレーズ。
当たり前のことを当たり前に歌ってるだけなのに、僕の「切なさ」の起点だ。
昨今のAVでは、いや今現在のこの時代、最も忌避されている言葉かも。
世間から、国から、権力から。
どうせ、死ぬのに・・・。

♪スポンジで涙を吸い取って
心は内鍵さ
涙がマスターキー
開かずの扉を開け放て♪

全ては涙から始まる。
だのに人は心に内鍵をかけて、生きるため我欲のために誤魔化し、虚栄し、己を決して開け放てない。
何のために、何を「やる!」「やった!!」と、そんなに意気がっていられるのか。

♪透かしている人
透かして歌ってる
スカスカの嘘を
聴き逃して♪

透かしてるAV。
透かしてる映画。
スカスカの嘘なのに、人は頑張りたがる。
己に酔いたがる。
人を頼ってる、くせに。
ドキュメントって、作るものなのに。
誰かを嫉んでるくせに。
本当は、自分を否定しているのに。
それを誤魔化すために、誰かを笑いものにしているくせに。
僕は豚の出産に感動など絶対に出来ない。
他人に殺させて己は食ってるんだから。

♪優しいだけでは優しくなれなくて
優しいスポンジがあなたを包むだけ
なんて嘘
なんて嘘

なんて嘘♪
「やさしいスポンジ」GALAXIE DEAD

「劇場版501」で優しい人って誰だろう?
誰がスポンジのように、涙も貴方も包み込んでくれるのだろう。
みんな、自分のためにやっただけ。
自分のために何もやらなかっただけ。
頑張らなかっただけ。
頑張った気分になっただけ。
すべては嘘だって・・・誰もが信じないふりをしているだけ。

ラストカット。
監督はやっと1発目の顔射を終え、残りは500発と宣言?している。
まだ40前の監督なら、その達成も可能だろう。
でも僕には無理な話だ。
未来のるなチャンより一回り若く?ても、監督と同じ27歳でAV男優になった僕だけど、やはり駄目だ。
映画の中で一番彼女の歳に近いと思っていた僕だが、もっと近いTOHJIRO監督のあのパワーには敵わない。
でもそれが僕の「劇場版501」だ。
僕だけの、どうしようもない「切なさ」だ。
僕を包む、やさしいスポンジだ。
なんて嘘・・・嘘?
本当に嘘か?
嘘でもいい。
大嘘でいい。
まだ、生きてる・・・エンドマークは出てない。

結局というか、やっぱりというか、感想にもならなかったけれども、501はあまりに自分にとって近づきすぎた、巻き込まれ過ぎた映画だから、今なおそうだから、またきっと、性懲りもなく、長々書き散らすと思う。
新しいバージョン?を、完全版を、DVD版を、今度はひとりで、今度こそ一人で、次こそは、自分独りの哀切を味わい尽くすために・・・。

僕は死ぬまで
"やるかやらないかの人生だったら・・・やらない人生を選ぶ"
"人を頼らないこと?頼っていいじゃないか。
頼らなくちゃ誰も生きてなんかいけないじゃないか"

だから
"頑張らなくてもいいけど・・・頑張ってもいいよ。
でも・・・頑張れなくても、いいんだよ"

もうすぐ55歳、僕はまだ・・・ゼロ発。



「戦争においては、勝っている時だけ、映像を持つことができるのである。
敗者は映像を持つことができない」
大島渚


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