AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS 普通という名の烙印・・・映画メモ「サンダカン八番娼館 望郷」

<<   作成日時 : 2014/04/12 18:46   >>

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"けどなぁ、お前。人にはその人その人の都合ちゅうもんがある。話して良かことなら、わざわざ聞かんでも自分から話しとる。ばってん、当人が言えんことは、言えん訳があるけんたい。お前が言わんことばぁ、どうして他人のわしが聞いて良かもんかね?"
 



74年 監督熊井啓 原作山崎朋子 脚本廣澤栄 熊井啓 撮影金宇満司 音楽伊福部昭 出演栗原小巻 田中絹代 高橋洋子 田中健 浜田光夫 水の江滝子


明治の頃、貧しさゆえに遠くボルネオに、娼婦として売られた、無名の日本女性達の物語。
"からゆきさん"と呼ばれた彼女達は、当初こそ外貨獲得のための「娘子軍」と呼ばれて喧伝されたものの、後には「国家の恥」「戦前日本の恥部」と非難されたらしい。

「「からゆきさん」の歴史のうえに、男の歴史、つまり明治以後の日本海外侵略史は重なっているのだ」
(監督熊井啓)

アダルトビデオは当初、まだ高価だった家庭用ビデオデッキの販売促進のために、オマケとして制作されたものである、という説を聞いたことがあります。
するとこれも立派な経済効果、景気回復のための先遣隊?
今では誰もそんなこと、言いません。
AVの歴史も所詮、恥の歴史です。
少なくとも女優達にとっては・・・たとえ誰にも知られていなくとも、自分がAV女優である、AV女優であった、と認めざるをえない女性達にとっては・・・?

後年、サンダカンを取り仕切り、娼婦達にお母さんと慕われた、元娼婦の女傑がいた。
彼女は、女衒上がりで今や南洋開発功労者として勲章をひけらかす大陸ゴロから
「邦人南方進出の折から、お前ら如き淫売がバッコする傾向は、我が同胞の面汚し!いや、国辱もんじゃぞ!」
と罵られるや、激昂して叫ぶ。
「このダニめがっ!」
「何じゃと?!」
「そうじゃなかか?お前は淫売の生き血ば吸うて、そぎゃん太うなったとぞ!国辱?面汚してか?!そりゃあ、お前のことばい!出ていけ!!」

男だけではありません。
"普通の女の子がHなことに興味があってAVに出るでしょうか"
そういう子もいます。
いや、いても不思議はありません。
いてもいいし、いることを認めてあげてもいいでしょう。
確かにカネは重要な理由の一つです。
けれど今や、信じられないほどの安いギャラで、自ら志願してくる子も沢山います。
一般のバイトで生活を支えながらAVを続けていきたいと願っている女優もいます。
人間は千差万別。
AV女優の動機も、彼女達が当たり前の人間だからこそ、まさに十人十色。
それを普通という基準で裁断してしまうのは・・・それこそ男社会の勝手な論理の裏返しです。
一応もう昔ほどの、男社会ではないのだから。
"からゆきさん"を使い捨て、娼婦なんてただの淫売と、普通を掲げた綺麗事で塗り潰そうとした、あの時代に戻したくないのであれば。
そもそも普通とは何でしょう?
かつては男達が淫売と罵り、今では同性から普通か異常か?で分けられる。
騙され、強制されて肉体を売り尽した女達は、利用価値が無くなるや、男社会から汚名と共に廃棄され、自らAV女優を目指すことは、普通という勲章を振りかざす女性社会から、決して認知などされない。
どの道、虚飾と保身のため。
男達の大義名分。
女達の底知れないプライド。
AV女優なんて、みんな、Hに興味があるからやってるんだ、と決めつけたい野郎共。
女の子はみんな、やむなくAV女優なんかやらされているんだと、信じていたいレディたち。
いずれも恐ろしい、統帥の構図ではないのでしょうか?

かつて人気だったTVドラマ「アリー my Love」(97年から2002年放送 米)の中で、元弁護士の売春婦を弁護すべく、ある男性弁護士が、法廷で居並ぶ陪審員に向かって、こう最終弁論しています。

「偽善行為ほど嫌なものはありません。最近の売れっ子女優の中には、一本の映画で一千万ドル稼ぐ人もいます。レベルは上ですが、カメラの前でセックスの真似事を・・・今、セックスの真似事と言いましたが、真似は本番だけでして、キスしたり乳首を噛んだり、耳や口にベロ突っ込んだり、オッパイや太股を撫でまわしたり、ペニスや股間をまさぐったりするのは・・・全てそのまんまで、実際にやってるわけなんです。女優達は社会的価値があるからやったのだと言うのでしょうけれど、ふふ、カネのためでもあるはずです。レベルをもっと下げると、働く女性が昇進したいがために男性の上司にカラダを開いたりするのも、珍しくありません。褒められたことじゃないが・・・事実あるんです、往々にして。でも投獄されない。それなりの収入のある男性としか結婚しないという女性が大勢いるのも知っています、感心しないが、事実いるんです。カネ目当てで結婚しても投獄はしない。事実は・・・こうです。女性にとって性は常に商品価値があるんです。常にずっと。大抵は因果関係がぼやかされてますが、私の依頼人は潔かった。彼女はありのまんま、あの男性(証人の男性客にして、教師)に、(自分のことを)話した。皆さんにも」
「・・・・」
「・・・・・・・・・・どうもすいません。偽善行為を前にして、つい言葉を失って・・・」
判決は無罪。
ちなみに我が国の地上波では、国営放送で流されましたが・・・。

性に対して、男社会は常に偽善の固まりです。
特に女の性に関しては。
しかしそれ以上に、現在では、普通という名の烙印が、社会を牽引しています。

「はっきり言ってしまうと・・・あなたの人生は・・・褒められませんね?」
「ええ、褒められた人生を送っているフリもしていませんから!」
「アリー my Love」より、弁護士と娼婦の会話。

褒められた人生を送りたいと渇望する輩が、歴史を支配してきました。
そのために果てしなく利用されてきたのが、普通という殺し文句、まさに印籠です。
戦争になれば、人殺しは"普通"。
景気のためなら、売春も"普通"。
"普通"の女性であるワタシ達のためなら、AV女優なんて・・・好きでAV女優になろうなんて・・・絶対、国辱?面汚し?

「彼女は男(恋人)に裏切られただけではない。兄にも女衒にも、夫、息子、親戚にも、そして世間、国家にも裏切られ捨てられた女である。ところが、どのような苦しみに遭っても彼女は決して生命を否定しない。他人を憎みはしない。奇跡的なまでに澄んだ純粋な愛で、捨てられた猫を、寄るべない女を包み、遠いところに住む息子一家の幸福を祈るのである」(監督熊井啓)

普通を標榜する人にこんなことが出来るでしょうか?
普通と異常で、他人を分けることしか考えない人々とは、結局己の我欲と安泰を祈り、妄執しているだけなのではないでしょうか。

元"からゆきさん"を演じた往年の大スター田中絹代は、この映画でベルリン映画祭の最優秀女優賞を受けたが、わずか三年後、67歳で逝去した。
晩年は孤独と借金苦の日々。
十代の頃の一度だけの短い結婚以外、生涯子供もなく、依存してくる兄姉たちの面倒に追われ、後はひたすら女優に命を賭けて生き抜いた、ひとりの女。
49歳の時、役のために前歯を全て抜いた、ひとりの女優。
「あんなに自分というものにうちこんで、それが天命だとして生きた人はほかにないんじゃないですかね、女優としての顔をどんなときにもくずさなかったですね」(映画監督木下恵介)
死の床においても、失われゆく視界の中、こう訴えたそうな。
「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」

AV女優も、女優です。
大半の子は、なるほど、様々な理由や境遇により、やむをえずその道に入ってきたのでしょう。
けれど、彼女達も普通なら、まれにそうでない動機の子も、やはり普通です。
男と女はそんなに違うでしょうか?
僕は、Hなことに興味があって、AV男優になりました。
今だにそうです。
女優はそれではいけないのでしょうか?
許されないのでしょうか?
恥、なのでしょうか?
誰にも決められないと思います。
少なくとも、男なんかには、そして普通という名の支配に気づいていない、日の当たる無数の輩には。

映画の後半、三か月に渡って寝食を共にして聞き取りを行った女性史研究家に向かって、元"からゆきさん"の老婆は、何一つ尋ねず、こう言う。
「けどなぁ、お前。人にはその人その人の都合ちゅうもんがある。話して良かことなら、わざわざ聞かんでも自分から話しとる。ばってん、当人が言えんことは、言えん訳があるけんたい。お前が言わんことばぁ、どうして他人のわしが聞いて良かもんかね?」

普通とは何なのか。
普通の子とは誰なのか?
"からゆきさん"の頃とは時代は確かに変わりました。
しかし、貧しかったらカラダを売れ、それが普通だと男社会が恫喝していた時代と、どれほど差があるでしょうか?
貧しいから普通の子でもやむなくAVに出る、だから貧しくなくて出るような子は・・・?
我々は豊かになったなどと言えるのでしょうか?
ある元単体女優がこんなことを書いていました。

"私はAV女優になったことを後悔している。
普通の人生を歩きたかったから。
普通の女の子でいたかったから"

彼女にこう言わせたのは誰でしょうか?
男でしょうか?
女でしょうか?
それとも我々がそうだと信じ込んでいる、何かでしょうか?

映画のラスト、それまで常に少女のような笑顔を絶やさなかった老婆が、美貌にも、学問にも、理解ある夫にも、可愛い娘にも恵まれた女性史研究家から、その老醜した顔を背けて、初めて、慟哭する。
本当に言いたかったこと、言えなかったこと、言うことを許されなかったこと、幾ら言っても伝えきれないこと・・・そんな万感の想いが込み上げるままに・・・深く、長く・・・"からゆきさん"は泣く。
ボルネオには今も、女傑が建てた"からゆきさん"達の墓地がある。
訪れる人とてないそれらは、みんな、祖国に背を向けて建てられた墓だそうである。

僕はただ決めつけることが嫌なのです。
決めつけられることも嫌なのです。
何ひとつ抗弁せず、歴史に殉じた"からゆきさん"。
永遠の不服従に、己の肉体と魂を埋めた異国の"からゆきさん"。
彼女達は普通の女たちです。
いえ、当たり前の人間達です。
AV女優もそうではいけないのでしょうか?
男も女も、どうしてそれを許さず、烙印を押しつけてくるのでしょうか・・・。







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内 容 ニックネーム/日時
女体拷問研究所グランドフィナーレ、サタン降臨見ました。とーても良かったです。女優の表情、ストーリーの展開、辻丸所長のセリフ多く辻丸ファンには嬉しいー。
ピピの助
2014/05/03 22:11

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