AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS 映画メモ拾遺編・・・「ランボー最後の戦場」「暴力」「植村直巳物語」

<<   作成日時 : 2013/10/09 08:25   >>

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"俺達の中に、望んでここにいる人間はひとりもいない。だがこれが我々のしていることなんだ。我々は押し付けられてきた。ムダに生きるか、何かのために死ぬか。お前が決めろ"



「暴力」
日 52年 監督吉村公三郎 脚本新藤兼人 撮影宮島義勇 出演日高澄子 若山セツ子 木村功 菅井一郎

大阪の真昼のスラム街を見下ろす橋の上での、女流作家と編集者の会話。
「すごい人ねぇ・・・この人たち、一体何をしてるんでしょう?」
「はは、何もしてやいませんよ。何かしようとして歩いてるんです。この町ではですね、50円あれば一日食えるんです。人間が最低で生きてるんですよ、ここじゃ」
ニヤニヤしながら解説している編集者。ニコニコしながら無遠慮にポン引きの女にカメラを向ける女流作家。

戦後7年目の無法の歓楽街。
生き残った人々は何かをしていたはずだ。
戦争ではない何かを。
虐殺ではない、生きるための、自由のための何かを。
けれどマスコミは彼らを人間とは見ない。
ケダモノとしか伝えない。
だから絶えず嘲笑している。
動物園のオリの向こう側のようにカメラを向ける。
彼らこそ何をしているのか?
何かをしているつもりで、まさに無法に振舞っているのか?
橋の上と下、それは紙一重。
人間なんて、結局誰もが、恥知らずの最低・・・。

真夜中のスラム街を行く編集者と女流作家。
「この女たちは皆、夜の女ですよ。もはやパン助は時代の花形じゃないですが、しかし逆に人数は増えるばかりです。通行人より多いじゃありませんか」
「普通の娘さんと変わりませんね、見分けがつかないくらい」
「そうなんです。何しろ昼はお勤めに出て、夜はパン助ってのもずいぶんいるんですからねぇ、何て言いますか、今じゃ職業化してきてるんですよ」

たった7年で、生きるため、食うためのパン助から、夜の"アルバイト"へ。
8年前には、貞操を死守すると国を挙げて誓い合い、竹ヤリを振っていたモンペ姿の女たちが・・・。
だが、そうさせていたのは一体誰だ?
恥のために死ね、後に続けと喚き続けていた連中はどこに消え、どこに隠れた?
時代の花形?
買うのは、常に男ども。
職業化させるのも野郎ども。
殺し方を、売り方を、遂にはそれをアルバイトという詭弁にすり変えるのも、いつだってオトコの都合。
今ではパン助なんて誰も口にしない。
ならば何だ?
普通でないムスメって何だ?
時代の花形って誰だ?
増えるばかりの彼女たちを、買ってる奴らは?ヌいてる輩は?

強欲と非情の限りを尽くし、遂には盲目の妹にまで暴力でもって客をとらせようとした鬼の義父を、ポン引きに堕とされていた女主人公は、憤怒の果てに刺殺する。
その翌朝。何ひとつ変わらないスラム街をまたも訪れる編集者と女流作家。
「昨日、殺人事件があったのは、この辺らしいですよ」
「ふうん・・・末期的ねぇ・・・養父を殺したんでしょ?」
「まったくアプレゲールは何をするか分からんですからねぇ、ははは」

親を殺すなんて末期的?
ほんの7年前まで、国民の義務として殺し合いに邁進していたであろう男と、それを後押ししていたはずの女とが、そんなことを言い合っている。
今でもそうだ。
親なんだから、家族なんだから、○○人なんだから・・・だから?
収束?コントロールされてる?そんなことするはずがございません!
すべてが肩書き?
一方的な画一的な、想像力のカケラもない、傲慢なる思い込みという名の単眼。
イジメ?
子供同士のふざけ合いだろ?やりすぎるなよ。
DV?
ただの夫婦喧嘩だろ?奥さんがしっかりしてないから。
ストーカー?
当人同士の問題だろ?男の気持ち、わかってあげないと。
セクハラ?
交流を深めるためだよ、大げさな。
虐待?
しつけ、愛情、自分の子供が可愛くない親なんているわけないじゃないか?

「先生のお筆でひとつ、どん底の街を裸にして下さい」
「ええ、書きますわ!」

こんな風にして書かれたものが、それぞれの時代の"真実"として後々までコピー化されます。
皆、立派だった。
サムライだった。
つましい生活を送っていた。
貧しいけど、誰もが優しかった。
国中が元気だった。
希望があった。
明るかった。
だから・・・・今とどう違うのでしょうか?
何が変わり果てたと言うのでしょうか?
一体誰が、何を裸に出来るというのでしょうか?


「植村直巳物語」
日 86年 監督佐藤純弥 脚本岩間芳樹 出演西田敏行 倍賞千恵子 古尾谷雅人 乙羽信子

自分の好きなことをするために他人のカネを当てにして、と非難されてフテ寝する冒険家の夫に妻は言う。
「あなたが、自分のやりたいことやろうって決めたのは・・・社会からは落ちこぼれたけど、人間としては落ちこぼれじゃないってことを証明したかったからよね・・・とことんやるしかないじゃない?」

AV男優なんて落ちこぼれです。
僕なんて、まったくの完璧なる、世の中の堕ちこぼれです。
だからこんなことを書き、誰からも読んでもらえず、誰も当てに出来ず、誰からも当てにされず・・・。
でも人間として・・・人間としては・・・生きている一人としては・・・?
男なんて、みんな落ちこぼれ。
だから、とことんやろうとして・・・好きなことをやろうとして・・・何かを証明しようとして・・・。
結果は誰を泣かせるでしょう?
たった一人の誰かでも、幸せに出来る、そう言い切れたら、どんなにいいでしょう。

ただの商売じゃないか、と恩師から叱責された彼は、妻に思いのたけをぶちまける。
「見世物なんかじゃない!人間が自然と戦って、どこまでやれるか、その限界に挑むことなんだよ。知恵と体力ふりしぼって、生きることの限界を試すことなんだよ!金使って、近代的装備の助けを借りるのがいけないって言うんだったら、登山だって同じじゃないか!近代的装備と集団の力さえあれば、今登れない山なんてないよ!でもそういう登山は人間を歯車にしちまうんだよ。俺が感じたいのは、たったひとつのこの体、たったひとつのこの頭なんだよ!生きる最小体としての俺自身なんだよ!」

誰もが歯車として生きている。
近代的装備?と集団の力を借りて、そこに混じって、日々流され続けている。
AVでさえそうです。
いや、AVだからこそ、厳しい生存競争を勝ち抜くために、あらゆる装備が、あらゆるテクニックが、あらゆる連携プレーが・・・。
男優もスタッフも、そして女優も歯車です。
何と戦うための?
どんな限界に挑むための?
知恵と体力ふりしぼって、どんな風に生きたくって?自分の何を試したくって?
見世物なのに・・・・。
僕には、たったひとつのこの体しかありません。
たったひとつのこの頭しかありません。
生きる最小体なんて・・・普段は誰も考えない。
ひとりじゃないから。
独りを感じないから。
一人じゃ生きられないから。
生きていないから・・・。
僕も最小体ではないでしょう。
しかし、いつも感じてしまうことです。
感じたいと願ってしまう業のようなものです。
僕の言葉は誰にも届かない。
何より女優には辿り着けない。
カメラの前で、僕は誰にもしゃべっていない。
語りかけていない。
訴えきれていない。
僕はたったひとつです。
それが見世物として生きる、僕という最小の自分です。


「ランボー 最後の戦場」
米 2008年 監督主演シルベスター・スタローン 出演ジュリー・ベンツ マシュー・マースデン

この映画について、僕は言葉もない。
ここには戦争がある。
暴力がある。
虐殺がある。
人間が、ある。
しかし何よりの痛恨は、本編ではカットされたこのシーン。
DVDの特典映像によってしか見られることのない、ほんのわずかの、このやりとり。
戦地へ行って難民を救いたいというキリスト教支援団の女と、ランボーの会話。
「でも、助けなきゃ」
「誰を?」
「・・・・」
「彼らか 君か?」
「関係ない」
「あるさ」
「彼らよ。何を捨てても、世の中を変えたい。命は尊いものよ」
「全部じゃない」
「それじゃ何も変わらないわ」
「そうだ」
「努力すれば変えられる」
「自分の幸せを考えろ」
「そうしてるわ」
「現実に逆らってる」
「現実って?」
「本能のまま戦争に明け暮れてる。流れる血が、そうさせてる。平和なんて妄想だ。現実はこうだ。追い込まれれば、簡単に人を殺せる」
「・・・・」
「戦争をなくすため別の戦争を起こす。"お国のために"と。権力者に踊らされているとは知らずにな。高みの見物で若者を死地に追いやる。勝利も真実もなく、ただ命だけが失われる!」
「・・・・」
「・・・・人生をムダにするな・・・・家に帰れ」
「・・・」
「帰るんだ」

巨大な妄想が、現実を封印します、隠蔽します、無名の弱者を切り捨てて・・・殺しています。
何かのために、と。
聞こえのいい大義名分。
無私無欲?
カネのためと、ちゃんと知ってて踊り狂う連中。
おぞましいほどの満面の笑顔で、煽りまくる群れ。
後は高みの見物です。
勝利?
真実?
ただ失われる・・・名もなき無数の命・・・。
永遠に明け暮れるのが、人間のようです。
何も変わらないのが、人間の血というもののようです。
でも・・・けれど・・・・。
本当に望んでいるのでしょうか?
やりたいことなのでしょうか?
何かをしようとして、それがこれでしょうか?
AVが?
戦争が?
暴力が?
お祭り騒ぎが?
パン助も、冒険も、戦場も、そしてAVも・・・押し付けられていると感じてはいけないのでしょうか?
欺瞞なのでしょうか?
それこそ妄想でしょうか?
"ムダに生きるか、何かのために死ぬか"
我々はとんでもなくムダに生き、ムダに死に、ムダに騒ぎ、ムダに信じ、ムダに殺し・・・・。
何かのために、生きたいと思っているはずなのに。
誰もがそう願い、そう祈っているはずだというのに。
僕はどっちでしょうか?
わかりません。
帰る家もありません。
でも・・・あなたは、ムダではありません。
死ぬ必要もありません。
殺される理由もありません。
あなたは踊っていないから。
何も望んでいないから。
誰もあなたの苦しみを知らないから。
誰もあなたの孤独を分からないから。
誰もあなたを省みようとはしないから。
あなたは、あなたの人生を、決めていいのです。
あなたが・・・あなたと。
あなたのために・・・。


傭兵たちに向かってランボーが言う。
「俺達の中に、望んでここにいる人間はひとりもいない。だがこれが我々のしていることなんだ。我々は押し付けられてきた。ムダに生きるか、何かのために死ぬか。お前が決めろ」


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