AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS どこで咲こうとも・・「燃えよ!カンフー」詩録

<<   作成日時 : 2006/07/02 08:14   >>

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「たとえばこの百合の花だ。種は風にのって運ばれていく。どこに落ちるか、それこそ風の吹くまま、運次第だ。ある者は肥えた土に落ち、あるいは人に手入れをされ、大きく育ち、美しく咲く。荒れ地に落ちた者は、大方死ぬだろう、しかし、なかには荒れ地でも、山の上や崖っぷちでも、健気に生き長らえて咲く者もある。岩の間で、思いがけず一輪の百合を見い出した時、旅人の心は、どんなに慰められるだろう。心ある旅人は、百合の花の美しさを愛で、逞しさに感謝して、一杯の水をかけて通り過ぎるだろう。わかるか?たとえどこで咲こうとも、百合の花はあくまでも、百合の花だ。そしてどれもが、みんなこれと同じように、美しいのではないかな?」

霧の夜、僧は、不気味な覆面を被った一団が一人の男の家を焼き払い、逃げようとした男を銃撃するさまを目撃する。一団が去った後、駆け寄ってきた僧に、その男は遺言状とひとつの鍵を託して息絶える。黄金色の鍵に記されていた文字は”快楽への鍵”。
翌朝、町まで男の遺体を運んだ僧は、保安官からその一団”ふくろう組”のことを聞かされる。
その名の通り、夜だけ現れるその連中は、道徳と秩序を守り正義を行うと称して、やっていることは無法者と同じ。勝手な理由をでっちあげて殺人を犯し、次々と土地を奪っていたのだ。
保安官が僧に言う。用事をすませたら、すぐここから出ていった方がいい。この町の者はよそ者に対してあまり親切とは言えないからだ、と・・・。
僧は少林寺での老師の言葉を思い出す。
「軽率に人を判断してはならんぞ。一人の人間がどういう人間か本当に知ることは、簡単なことではない。人間を計る物差しでもあれば便利だろうが、そんなものはない。いくら冷静に見ているつもりでも、容貌、年齢、人種、肌の色、髪の色、そうしたものにとかく左右されがちなものだ。人は外見ではない。そして忘れてはならぬのは、常に己を最も厳しく判断することだ」

人間はなかなか自分一人では死なない。
だが集団で他人を死に到らしめることだけは、なぜか得意だ。
自分の顔には覆面を被せる。他人の顔にはしっかり狙いをつけて、容赦無く瞬殺する。
会って話せばすぐに相手がどんな人間か分ると豪語する輩がいる。そんな軽率極まりない者が、人の親となり、自慢話を吹聴し、かつての恩人を罵倒する。
分るのはその相手が自分にとって役に立つかどうか、自分達ファミリーに利益をもたらしてくれるかどうか、要するに自分達の大事な大事な豪邸を維持していくことに何等かの足しになるかどうか、という判断だけだ。
相手の人格や人間性などどうでもいい。そいつがカネになるかどうか。そいつと付き合えば子供の学資やローンの払いにプラスになるかどうか、それだけの基準なのだ。
覆面の代わりにいい年して女子高生みたいに前髪を垂らす。道徳も秩序も、業界の発展さえも自分がカギを握っていると大言壮語する。
すべては勝手な理由だ。自分達ファミリーさえ幸福になれるのなら世界中が滅んでも木刀振りかざして満面の笑みを浮かべている厚化粧エゴ。
自分を見なくて何が分る?
己の真実から目をそらして誰の何が分ると言う?
人間の本当なんて、とことん分らない。独身から家族持ち、サラリーマンからフリー、メジャーからインディー・・それだけで三百六十度葉恥知らずにも転向しまくる無責任でニセモノたるマッチョ芸人達のことではない。
本物の人間、の本当こそ、人にはなかなか理解されないのだ。
姑息で卑怯で欺瞞に満ちた輩ほど幅をきかせる世の中だから、余計に彼等は延々と笑止の上、無視されるばかりなのだ。
彼等は必ずよそ者扱いされる。打てば響かないというだけで、無能者のレッテルを貼られる。
だが、彼等の多くは誰よりも己に厳しいゆえに、一見愚鈍に見える。自分のことをまず後まわしにするから、ネガティブにさえ判断される。
自分の生き方、考え方を何より厳格に判断、いや断罪すること。
それが人間の最大の強さだ。
鍛えた肉体や木刀も及ばない、人間の真の輝きだ。

鍵に記された店名を頼りに僧が訪ねた店は何と、娼館だった。そこには陽気な白人女達に混じって、一人の清国娘シナモンがいた。
久しぶりに同胞と巡り会った僧は少林寺時代を回想する。
「単純で無駄のない動きは、心と体を調和させる。それは優雅で美しく、荘厳だ。その光景を見て涙を流す者も・・・」
拳法の練習風景を見ながら涙しているのは、まだ少年だった僧。

単純であること。無駄のないこと。
誤魔化し誤魔化し生きないこと。無用なものでゴテゴテ飾りたてないこと。
欲望と虚栄心のためにこれらの教えを放棄した現代人達は、とっくに心と体の調和を失った。だからその行動にもパフォーマンスにも、優雅さや美しさや、まして荘厳さなどは微塵もない。
勝ち負けがすべて。稼ぐか損するかが鉄の掟。
勝てばカリスマ、負ければ根性無しの気合が足りないの、と・・・。
人は人間の動きを見て涙することを忘れてしまった。
無我無心に努力する人間の姿を、揶揄するだけの享楽主義が蔓延した。
飽食化したエゴで爛熟した己の姿に、ヨダレを垂らすのが、現代のおぞましき至福なのだ。

殺された男はサムと言ってその店の常連だった。彼は豊かな放牧地を持っていたが、強欲な牧場主であるサーモンド一味がその土地を狙っていたこと、そして奴等こそが”ふくろう組”の正体であることも勘付いていたことから、死を予感して遺言状を用意していたのだ。そこには自分が死んだら、土地、建物すべてをその店の女達に等分に譲ると書かれていた。
娼婦達は小踊りして喜ぶが、女主人のアイダだけは浮かぬ顔を僧に見せる。
次はきっと自分達がサーモンド一味に狙われるはずだ、と。
まだ何も知らない娼婦達は互いにあれこれと、土地を売って大金を手にしたらどうするかと、浮かれて話している。店を持ちたい、結婚したい、贅沢したい、遊んで暮らしたい・・・一人の女が僧に、あなたが同じ立場ならどうする?と聞く。
僧「今までどおり、自分の道を探します」
「そんな旅をしてたの?」
僧「そうです」
黙り込む娼婦達。シナモンは僧の腕をまくり、僧侶の印を確認する。
「少林寺のお坊さんね・・だと思ったわ」
僧「どうして?」
「あんたの言うことよ・・しゃべり方でよ・・」
僧「何か・・気にさわることでも?」
「いいえ・・・お坊さま・・・どうせあんた達は自分のことしか考えない人間よ!」
僧「・・・私に一体どうしろ、と?」
「・・別に・・」
僧「・・・・」

人は金さえあれば何でも出来ると思う。贅沢も遊びも結婚も、夢や希望や目的さえも・・・。
しかしそこに道はあるか?
金があろうとなかろうと、人間の道はそれぞれすでに決まっているものではないのか?
人はそれから目をそらすために金儲けに溺れる。稼ぐこと以外は一切考えずに限られた人生を盲進する。
そんなに怖いらしい。己の真実を見つめるのが、そこまで地獄の苦しみらしい。
だから自分の道を探そうとする者を排斥する。
社会的にイジメ抜いて、表舞台から執拗に追い立てる。
彼等は絶えず責められるのだ。そのくせ、別に何もさせようとはせず、生殺しにして放逐するのだ。
道を探す者達がいなくなれば、道なんてない、そんなものいらない、と好き勝手に吠えていられる・・。

アイダが怖れたとおり、サーモンドの子分達が現れ、遺言状を無理やり奪おうとするが、僧にやつけられる。そこでサーモンドは今夜中に遺言状を渡さなければ、娼館もろとも全員焼き払うと脅しをかける。
僧がアイダに問う。
僧「遺言状を渡しますか?」
「・・・嫌よ」
僧「皆の命を危険にさらすんですか、わずかな土地のために」
「そのわずかな土地のお陰で、生まれて初めてやっと、あの子達は人並みの生活が出来るのよ。あの土地には皆の夢が懸かっているのよ。将来の夢がね」
僧「でもこのままでは・・・皆には明日があるんでしょうか・・」

AV女優も危険にさらされている。病気、妊娠などという以上に、経歴、将来、女性であることのモラル、プライド等を永久の地雷ゾーンに放り出して、今日もどこかで仕事としての性交をこなしている。
彼女達の多くは、AVに出演することで生まれて初めてやっと、彼女達が望む彼女達並みの生活を手に入れた。それは彼女達の現在進行形の夢であり、将来よりも遥かに重要で絶対の空間なのだ。
そのためなら危険など何ともない。危険を危険とさえ、明確に意識しようとしない強靭さを、ほとんど本能的なまでに身につけている。
彼女達には明日しかない。明日の仕事、明日の酒、明日の買い物、明日のオトコ・・・それらしか見えていない。
しかしAV女優を笑える者がどこにいるだろうか。
誰も彼もが血眼になって、自分並みの生活とやらにしがみついているのではないのか。
我々も明日しか見ていない。
明日の仕事、明日の稼ぎ、明日の勝利、明日の豪邸・・・。
わずかな夢のために。夢と称する卑しいエゴのために・・・。

女達に引き止められながらも、僧は娼館を去ろうとする。
僧「命を無駄にすることは愚かです」
シナモンが問い詰める。
「少林寺のお坊さんには、怖いものはないはずよ。どんな相手にも負けることはないって、そう聞いたけど」
僧「・・・・」
「”水牛の角も、引き裂く場所を見い出せず 兵士の槍も、突くことが出来ない”って・・そう言うんじゃないの?」
僧「・・こういうのもあります。”戦わず 勝ちを修めよ”」
「わかったわ。あなた方少林寺の偉いお坊様にとっては、私の命なんて何の価値もないのよ」
僧「・・・・」
「さっさと行ったら?御立派な己自身とやらを見つけに・・・卑しい女達のことなど気にしないでいいのよ」
僧「・・他にも少林寺の僧を知っているんですか?」
「一人ね。キムレンて・・私の従兄弟よ。知ってるの?」
僧「いいえ。全国から沢山の人が来るんで」
「私は売られたのよ!従兄弟が少林寺へ入門する費用を作るためにね!」
僧「・・・先生達もそのようなことは知らなかった」
「もし知ってたら気にした、とでも言うの?」
僧「・・・わかりません」
「あんたはどうなの?」
僧「・・・・・」

世間一般からすればAV女優の命など何の価値もない。
蔑むべき存在に対して、御立派な”論客”ほど、その現状も末路も、どうでもいい。
だが、棄てられた者が、名をなす誰かを生かしていることは歴史の定義だ。
偉大な結果は、無名の犠牲の上に成り立っているのが、人間の真実だ。
AVは売れている。AVは稼いでいる。AVはこの社会に、悦楽と幸福をもたらしている。
AVは勝っているのだ。AV女優が勝たせているのだ。
けれど男達はそれを知らない。知ろうともしない。
AV女優以外の女達だって知っちゃいない。
こうして毎年毎年絶えまなくAV女優が殺される。人知れず売られ尽くして、闇の彼方へ葬り去られる。
命を無駄にすることは愚かだ。
しかし犠牲とは、その多くが無駄な結果に終わる、滑稽な不条理ではないのか?
僕は怖いものだらけだ。誰にも勝てない。水牛の角にも兵士の槍にもすくみ上がる。
戦わず、勝ちも負けも修められない。
そんな僕が気にしてどうなる?
AV女優の命を、僕にどう出来る?
そして、あなた方はどうなのか?
知らないフリをしている犠牲という業を、あなた方はどう引き受けているつもりなのか?

僧の回想が続く。
涙と共に拳法の練習風景を眺めていた少年の僧に老師が声をかける。
「悲しいか?」
僧「・・・いいえ、先生。この平和と安らぎの中にいる自分が、あんまりにも幸せすぎて・・」
「どうしてかな?」
僧「私の他にも大勢の子供が、入門を願って何日も、御門の前に立っていましたのに、私だけが選ばれました。もし選ばれなかったら・・」
「だが、選ばれたのだ」
僧「はい。でもそうでなかったら・・今頃、どこで何をしていたでしょう・・」
「誰にも分らんな」
僧「他の子供達は・・今どこにいるのでしょう」
「それもまた、誰にも分らぬことだ」
僧「世の中には、ここのことも知らぬもっと沢山の人達がいます」
「気の毒だと思うか?」
僧「・・・思います」
「わしと、一緒に来なさい」
老師の後を僧はついて行く。

僕は幸せじゃない。今の自分の生活に、何の平和も安らぎも覚えていない。
僕だけが、こんな人生に選ばれた。
もしそうでなかったら、僕はどこで何をしていたことか・・・誰にも分らない。
世の中には、僕のことなど全然知らない人達が沢山いる。彼等は幸運だ。僕なんかに毒されないで、実に平穏な人生だ。
AV女優は幸せだろう。充足と興奮で毎晩よがり泣いているだろう。
彼女達だけが選ばれた。もしそうでなかったら、彼女達は今頃どこで何をしていることやら。
AV女優になれなかった女達は気の毒だ。僕ほどではないが、やはり可哀想なくらい、不運だ。
僕はそう思う。AV女優もほとんどがそう思っているだろう。
僕は売れないAV男優だから。彼女達は、己の性を見られて初めて輝く、AV女優だから。

老師は、仏前に供えられた百合の花束の前に僧を導く。
「たとえばこの百合の花だ。種は風にのって運ばれていく。どこに落ちるかそれこそ、風の吹くまま、運次第だ。ある者は肥えた土に落ち、あるいは人に手入れをされ、大きく育ち、美しく咲く。荒れ地に落ちた者は、大方死ぬだろう、しかし、なかには荒れ地でも、山の上や崖っぷちでも、健気に生き長らえて咲く者もある。岩の間で、思いがけず一輪の百合を見い出した時、旅人の心は、どんなに慰められるだろう。心ある旅人は、百合の花の美しさを愛で、逞しさに感謝して、一杯の水をかけて通り過ぎるだろう。分るか?」
僧「・・・」
「たとえどこで咲こうとも、百合の花はあくまでも、百合の花だ。そしてどれもが、みんなこれと同じように、美しいのではないかな?」
僧「・・・・」

人間の運命は風にのって運ばれ、どこに落ちるか誰にも決められない。
生まれつき裕福な者、才能に恵まれた者、庇護されて育った者、どこまでも都合良く助けてもらえた者・・・だからあなたも生き抜いて?
そして大方の不運な者は、あっけなく死ぬ。何も残せず何も許されず、一言も叫べないまま、一山幾らのように殺されてしまう・・・自己責任?
AV女優はどっちだろう・・・。
アダルト業界なんて元々荒れ地だ。野卑な人間共の淫欲の掃き溜めだ。
AV女優はその醜悪な崖っぷちに健気に咲く。低劣な岩の間に一輪花のように開いてみせる。
少なからぬ男達がその美しさを愛でる。情愛に飢えた性の旅人が、彼女達の逞しさに感謝し、無知な一雫を注いでみせる。
たとえAVで咲こうと彼女達も百合の花か。
AV女優の中にだって、聖なる美しさに叶う女の子達は間違い無く息づいているのか。
AV女優は、幸福に見える。カネと快感とナルシズムを最も手っ取り早くゲット出来る最高の女の職業に感じられる。
だがしかし、彼女達は本物の百合だろうか。
軽率などにはまったく無縁の、本当に確かな、美しい花だろうか。
そしてAV女優以外の女性達はどうだろう。
彼女達の何人が、本物の百合の花として、いかなる場所でも咲いているのだろうか。
僕は幸せではない。
だが、一見遥かに恵まれていると思える人々が、本当に幸せかどうか、軽率には決められない。
AV女優にも幸せでない子はいる。
AV女優でなくても幸せな子はいっぱいいる。
僕より幸せでない人も必ずいる。
僕を見て幸せだと思う人だって、確かにいる。
さらに、AV女優を見て不幸だと考える人も沢山いる。
AV女優から見て、不幸だと思われる女性もかなりいる。
そして、AV女優よりも、幸せでない子は、やはり相当いる。
僕にはいよいよ分らなくなってしまった。
ただ、これだけは多分言えると思う。
幸福そうに見える人は幾らでもどこにでもいる。だが、本物の幸福な人とは、どんな人にでも幸福を与えられる人だ。いかなる不幸な人とでも、ささやかな幸福を分かち合える健気な人だ。
そういう人ほど滅多にいない。なかなか分るものでもない。
僕はそういう人と、一度でいいから出会って、それから死にたい・・・。

深夜、遂に”ふくろう組”が娼館を襲うが、舞い戻った僧は女達を馬車で脱出させる。
一度は追い付かれ、絶体絶命となるが、そこへ保安官達が駆け付け、全員逮捕する。
僧に打ち倒されたボスは、やはりサーモンドだった。
別れの時・・・。
娼婦達は皆で力を合わせて農場を始める、という。
シナモンは僧に尋ねる。
「私達みんな、素人ばっかり。やっていけると思う?」
僧「はい・・・みんなで力を合わせれば、きっと・・」
「・・・」
僧「努力すれば、大地は必ず、答えてくれます」
「ありがとう・・・お坊さま」
二人は一礼を交わし合う。

僕に幸福を感じさせてくれたAV女優・・・数えられるくらいしかいない。
僕と幸福を分かち合えたAV女優以外の女性・・・・皆無だ。
僕は男として今だに素人なのだろう。かろうじて死に損なってきただけの、無力で孤立するしかなかった人間なのだろう。
幸福を合わせられる相手もいない。力を合わせてくれる、誰かも見えない。
僕が努力しようとしていないだけか。運命という大地に本気で祈りを捧げていないだけなのか。
でも荒れ地に落ちた者は大方死ぬのではないのか。
だったらどうして僕は今もなお、こうして生き恥をさらしているのか。
AVという荒れ地でもAV女優は咲く。それともAVとは肥えた土なのか。
一般社会でも咲く人はいる。格差社会でも拝金時代でも、咲く人はひっそりと咲いてみせる。
僕はどこへ生まれ落ちたのか?
こんな僕でも何かを咲かせていると、死ぬ前に一度くらい、本気で信じられる時が、いつか、やってきてくれるのだろうか?

心から、ありがとう、と合掌出来る瞬間が・・・・。















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