AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

アクセスカウンタ

zoom RSS 革命・幻想・イメージ・・映画メモ「煉獄エロイカ」

<<   作成日時 : 2006/06/03 18:37   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

70年 監督吉田喜重 脚本山田正弘 吉田喜重 音楽一柳慧 出演鵜田具造 岡田茉莉子 木村菜穂 岩崎加根子 武内亨 筒井和美 

煉獄・・・聖書に書かれた、天国と地獄の間。死者の霊が天国に入る前に、ここで火によって浄化されるという。
エロイカ・・英雄。

この映画は異常である。
まともなシーンは、ひとつもない、と言ってもいい。
現在、過去、未来が目まぐるしく錯綜する。大衆も社会風俗も一切排され、登場人物のみが存在を許されている。
彼等は全員が何らかの意味において革命家だ。
しかし彼等は結局ほとんど何も出来ないまま、抹消されてしまうのだ。
彼等は浄化されたのか。
彼等は英雄だったのか。
この映画は当たり前のように煉獄だ。天国にも地獄にも行けない、かと言って炎に清められるのも疑わしい、硬質の乾き切った世界。
とにかくイメージだ。
彼等が何ひとつなし得なかった如く、この奔放な映画は、大胆な飛翔と転回を縦横に繰り返す、イメージの革命模様なのだ。

コンクリートに支配された現代建築。白と黒だけの透徹した異界。
華やかな身なリの婦人が、子供か娘か分らない若い女の投身らしきものに遭遇する。担架で運ばれる若い女。後を追って外へ出た婦人の前に、空の担架が流れ込んで来る。

この映画の白色光は強烈だ。
人間達は皆、それ以上に冷徹だ。
デパート、駐車場、病院、モノレール・・・誰もいない。まるで砂漠だ。廃墟だ。死の灰に満ちた町だ。
聞こえるのは人の靴音ばかり。大地を滅ぼした現代人の鋭利な呻きのように、鼓動のように・・・耳を刺す。

電子工学者庄田が、研究室で今朝見た夢を一人で語る。
油虫の入ったコーヒーを飲まなければならなかったこと。「みんなが見ているのだ」
溺れかけていた男の子を助けたものの別の子を死なせてしまったこと。みんな自分の子だ。「あれは産まれる前に躓いて消えていった私の子供たちの姿なのか、あの夢は、何の予兆なのか、よい報せなのか、悪い報せなのか」

毒を飲む。己を呑み干す。
誰もが子供を持つのかもしれない。過去の産んだ、そして現在に連なる赤子を背負っているのかもしれない。
苦々しい毒のような鬼っ子。棄て児にしたつもりだった生々しい分身。
僕に子供はいない。
けれど僕にも子供はある。棄てきれない、死なせてしまった、胎児が存在する。
僕も飲まなければならない。
己の分身を・・・己の、この世に産み出せなかった、自分自身の片肺を・・・。

投身した女に白衣の男が話し掛ける。無表情で答える女。
「あたし、迷子なの」
「ははは・・からかってはいけない。自分のことを迷子だとわかっている迷子がいるものかね」
「でもそうなんだもん。みんな迷子なのに・・」
「みんな?」
「あんたもだわ」
「迷ってしまったと気付いた時、その人間はもう迷子ではない。立ち止まって考えることも、引き返すことも、インフォメーションを訪ねることも出来るんだからね。つまり、行き先があるんだ」
「あたしはお母さんを捜しているのよ」
「私の店では何でも売ってるが・・」
「ママはあたしを産んだけれど、あたしを産んだことに気付かなかったの」
そこへ婦人が入ってくる。

人は皆、迷子かもしれない。
行き先があるふりをしているだけかもしれない。
立ち止まって考えようと、引き返そうと、案内所を乞おうと、人はすでに自分のことを迷子だとは全然思っていない。
母を捜していることも。自分を産んだ絶対の責任者を求めていることも。
人は誰かの母であることにも気付かない。
あらゆるものを売っている社会。インフォメーションだらけの世の中。
でも迷子は売っていない。母も用意してくれない。
誰も捜さないから。求めたがらないから。
責任という罪を、人は忘れて生きてゆくから。

婦人は庄田の妻夏那子で、彼女はその女アユを自宅のマンションに連れて来てしまう。そこへアユの父親だと名乗る男が現れるが、アユは激しく拒絶し、庄田夫妻をパパママと呼び続ける。
庄田は男を見ているうちに1952年の夏、工科大学の学生だった頃を思い出す。男は庄田との関係を否定するが、アユに導かれて広大な埋め立て地を彷徨ううち、庄田は回想の世界に絡め捕られてしまう。コンビナート、地下鉄の駅、シャッター、無人に尽きる石灰色の土地・・・。
そこは1952年、夏、革命軍事組織のアジト。
アユの父と名乗った男清靖夫が議長。数人の学生。庄田。同志三枝温子。
温子が一人で延々と語る。
1952年とは・・・・四月二十八日サンフランシスコ条約発効、日本独立。
五月一日、メーデー、警官弾圧、射殺二、重軽傷八百、検挙者千二百三十。
五月三十日、反植民地闘争、軍事闘争方針具体化、射殺三、検挙者百二。
六月七日、四百万の労働者破防法反対スト突入。
六月二十四日、吹田事件、検挙者六十。
六月二十五日、新宿駅デモ隊、警官と衝突、検挙者三十。
そして七月四日・・・今日・・ある計画の中止が発令された。同志の中に裏切り者、スパイがいた、というのだ・・・。

僕は闘争を知らない。
学生ではあったが、デモにもストにも衝突にも無縁だった。
それなのに歴史には絡め捕られる。革命という言葉に、無条件で感応してしまう。
それは戦いへのオマージュではない。変革への憧憬でもない。
敗北の苦渋だ。圧殺や裏切りに対する倒錯した心酔だ。
僕は最初から破れることを夢想する似非テロリスト。
挫折や崩壊に身をやつそうとする自慰自閉のゲリラ。
裏切り者として生まれ、己を私刑して、粛正されるんだ。

清がスパイを射殺したその場所に今、庄田は立っていた。アユがそこへ誘い込んだのだ。狂おしく苦々しく、アユを犯してしまう庄田。だがその様子は8ミリフィルムに隠し撮りされていた。それをネタに脅迫してきたのは1970年、現在の革命運動グループの一人、新条浄子だった。彼女は、ある外国の要人誘拐に協力しろ、という。

自分の子供を犯す。それは自棄か、自己処罰か。
だが報いは現実となって還ってくる。
僕も自分の犯した過ちをさらに犯して誤魔化そうとしてきた。僕以外の誰もが、だ。
その報いが歴史となる。人間の過ちは永久に繰り返される。
革命は終わらない。
帝国も、揺るがない。

浄子とグループの仲間田屋の会話。
「愛してるって言ってみて」
「愛なんて、はじめから関係ない」
田屋は浄子の誘いを拒否した男だ。
「愛って何だ?」
「自由になることだわ」
二人は廃ビル内を漂う。
「君はあそこの労働者を愛しているかい?」
「そんな風に古めかしく考えたことないわ」
「愛してない、とはっきり言うべきだ」
「自分のために革命をやってるわ」
「スパイになるのも自分のためさ」
グループ内のある女が逮捕され裏切ってしまったことを告白してきた時、浄子はその女をかばったのだ。
「革命家になろうとして、君達はレズビアンになってしまうんだ。そんな時代さ、いや、案外こいつは正しいことかもしれん」
女はパクられた時に強姦されたのだ、と浄子は弁護する。
「裏切ったりスパイになるというのは、すこぶるセクシャルな行為なんだ。その時、甘ったるい、しびれるような戦慄が体をさし貫き・・・」

愛が自由なら、愛さない自由もあり得る。
革命が自由を求めるものなら、自分のためだけの革命になってしまうことも、当然あり得る。
革命家になろうとしてスパイになる。
権力に抵抗するためにレズビアンになる。
自分を守るために、自分だけを愛し、自由を得るために、人は裏切りを選ぶ。
生きることは否応無くセクシャルなのだ。権力はまさにその一点に忠実な魔法なのだ。
生きる人間に革命は、幻想なのか。
自分がある限り、人は革命家にはなれないのか。
僕は自分のためにAVに出ている。自由を得るために男優をやっている。
僕は、はっきり言うべきだろう。AV女優を愛していない、と・・・。

夏那子は再び、清と会う。彼はあくまで自分がアユの父親だと主張する。もちろん夏那子には信じられない。
「信じない?当然です。当の子供ですら信じておらんのですから・・だが、信じるとはどういうことです?」
「・・・・」
「答えられんでしょう。私は本当のことを話す。だが証明しない限り真実とは認めてもらえん。ひとつの物事に真実はいっぱいある、証明した奴の勝ちです・・・」

僕は本当のことを書いている。でも誰も信じない。
証明するには、二つの方法しかない。
死んでみせるか、愛するか・・・。
僕の真実は、いずれにせよ、終わらせることにしか、ないのかもしれない。生を諦め、愛することも諦め・・・。

庄田は清と共謀したスパイの疑いを党からかけられ、厳しい査問委員会の末、組織から永久追放された。温子もまた、清にそそのかされて裏切ったと決めつけられ、自己批判書を強いられたあげく、町のチンピラ共に輪姦され扼殺された。
時空を越えて、52年、70年の人々が一堂に会し、80年を迎えている。
夏那子もアユに導かれて、そこにいた。彼女はアユが自分の子供だと叫ぶが、浄子は遮る。
「そんな子供はいないわ、どこにも。それはあなたの情念が作り出した影よ、ただの影よ!」
「ちがうわ!」

冤罪、暴行・・・総括、自己批判・・・。
時空を越えて矛盾がはびこる。歴史は常に不条理で成り立っている。
真実は情念の中にしかない。影のようにそれは多数派から否決される。
産み落とされたものから、誰もが目をそむけるのだ。
時代の産んだ膿は、個人に押し付けられ封印されるのが、組織という国家の常套なのだ。

外国大使誘拐の模擬演習。大使夫妻を演じるのは清と温子。浄子ら70年グループも参加する。解放された大使夫妻は世界中のマスコミからインタビューされるが、それは世界同時生中継のハプニングTVショーだった。赤毛のカツラをとった温子はマイクを持って叫ぶ。
「終わり?何ひとつ片付いちゃいないわ、始まったばかりよ!戦いを続けなければいけないのよ!」
庄田と温子の会話。
「僕らは壮大な夢の時代に生きていたんだ。少なくともこの三か月間はそうだった。全世界のプロレタリアートが、共に同じ戦線で闘っている時、我が国のプロレタリアートは、ナイロンの靴下と歯磨きを手にして、飢えがもはや永久に来ないような顔をして、戦線に立つことよりも、大平和フェスティバルへ行って、歌いかつ踊ることを選んだのだ」
二人はアジトに戻る。
「計画は挫折した。間もなく僕らは全員逮捕されるだろう、そうすれば・・」
「三四年は会えないでしょうね・・でも挫折したのは計画じゃない、魂のデモクラシーだったのよ」

52年が地獄。80年が天国。現在(70年)が煉獄。
地獄には解放への壮大な夢がある。
天国には、歌と踊りと終幕のあるショーが用意されている。
我々はそのどちらにも挫折した。
戦線を離れ、チャチな快楽に支配され、それぞれの役割に一人残らず片付けられてしまった。
過去はやり直せない。未来には何の希望もない。
煉獄・・・焼き浄められることもない、魂のアジト。
我々のデモクラシーは児戯に等しかった。三四年の微罪でしかなかった。
壮大な茶番劇だ。

夏那子はアユを捜して、被告席に庄田の座る裁判に紛れ込む。反革命分子、挑発者、二重スパイ、という罪名で・・・。銃を持って見下ろしているのは浄子ら70年代の過激派たち。
夏那子は、アユが誘拐され奴隷にされて競り売りされる、と訴える。温子は答える。私達は今、革命で忙しいのよ、と。
「心配いらないわ。私も売られたのよ、十六の時。でもそれは男達に、ではないわ。革命に身を売ったのよ」

過去が裁かれ、個人が断罪されている間に、革命の生命は略奪され、商品化され、売買の末、私有財産に堕とされてしまう。
革命家達は誰一人それに気付かない。
革命で忙しいから。自分もとっくに身も心も売り渡してしまっているから。
命も魂もない、革命というイメージに・・・。
僕も売ったのだろう。
掴みようもない、何か甘美なものに、ナルシスを極めたものに、身も心も売り払ってきたのだろう。
自らが選んだ暗黒裁判。
僕も被告席にいる。弁護人は、証人は、傍聴人すら、どこにもいない。

アユを見つけるため、いきなりリーダーに選出された庄田は、夏那子の資料に何も記載されていない責任を追求される。評決は夏那子以外、全員有罪。夏那子は判断出来ない。
「わからないわ・・棄権するわ」
「棄権は許されないの。全員一致が必要なのよ」と、温子。
「・・・無罪」
「もう一度」
「・・・・」
「あなたの沈黙の意味は重大だわ」
「・・・・」
「沈黙は、この世界では、どんな価値も決まりも、逆さにしてしまうのよ」
温子は夏那子を問い詰める。
「リーダーになる唯一の資格は何か?」
「・・・愛すること」
「正しい答えは、ヒロイズムなのよ。彼はそれをあなたに教えなかったの?」
「・・・」
「それじゃあ彼は有罪だわ。絞首刑よ!」
庄田は絞首台に連行され、首に縄をかけられる。
「同志諸君。さようなら・・・私は・・」
一気に吊るされる庄田・・・。

責任を糾弾される者。
全てに無関係、無関心、無責任を通してきた者。
そんな二人が夫婦であり、しかし歴史に対して棄権することが不可能である以上、沈黙という自白を拒むことは出来ない。
沈黙は抵抗にはならない。ルールにも主張にも辿り着けない。
傍観者はリーダーさえ知らないのだ。知ろうともせず、ただ愛という無力な幻想に甘えるだけなのだ。
革命は愛によっては生まれない。
特権に裏打ちされた英雄の自意識だけが、全ての刑を執行出来る。
我々はこんな評決しか出来ない参加者だったのだ。歪められた歴史の出席者でしかなかったのだ。
もう何も言うことはない。
僕は・・・口なしで吊られている・・・。

80年。政府から勲章を授与された庄田が女性キャスター達にインタビューされている。庄田は真っ白な頭髪に血の気の失せた老人であり、キャスターは温子、浄子、そしてアユだ。
「青年たちは依然反抗という安易な途を歩もうとしています。彼等に一言」
「・・・・」
「科学の発達は、人間から最終的には自由を奪うだろうという考えについて」
「・・・・」
「男は自由になるために男色家になるという意見をどう思いますか」
「・・・・」
「どんな時に幻滅を感じられますか?」
「海は好きですか?」
「お酒はどの銘柄を指定なさいますか?」
「科学はどこまで進んだら停まるのでしょう?」
庄田は、一言。
「私に答えられる質問にしてくれ」
温子が最後の質問をする。
人生の究極の目的はなんだとお考えですか?
「最良の夫になること」

国家の御墨付きをもらった廃人。
反抗とは安易な途か。
科学は人類を征服するのか。
性愛に自由はないのか。
幻滅はいたるところにある。時を選んで感じる方が愚かだ。
海が好きでどうなる?酒を味わってどうなる?
科学も人間も進むのではなく、衰弱の樹海を堂々巡りしているだけなのに・・・。
未来に答えられる質問など、ひとつもない。
人類が口に出来る唯一の目的・・・それは個人の祈り・・・微小なる懺悔・・・・。
「真の反抗なら僕は支持する」
「科学の発達は、滅亡しか生まない。僕は科学者じゃないから」
「男色より僕は自慰を選ぶ」
「目が覚めている間中、幻滅している」
「海は好きだ。酒は飲まない」
「人間がいる限り、科学という導火線は停まらない」
僕なら質問にこう答える。
だが、最後の質問には・・・答えたくない。
僕もまだ、死に損なっているから。

浄子は要人誘拐を決行する仲間達に、武器を届けてやることが出来なかった。
田屋らグループのメンバーは軍人らしき部隊に全員銃殺されてしまう。
ベッドの上で庄田に癒される浄子。
「私の神は、私のニヒリズム(虚無)」
「・・・」
「怖かったからじゃないわ」
「わかってる。君は余計なものを感じすぎたんだ」
「・・・もうあなたと会うことは、きっとないわ」
そして清はアユに射殺される。
それを見届けたかのように、庄田はこの物語から姿を消してゆく・・・。

革命寸前のニヒリズム。
破壊も虐殺も、審判も感じ取れなくなった瞬間、空虚と化す。
人にはそれぞれの神がある。
一切の理由も寄せつけず、神は運命を下す。
人はそれに従って、消えてゆく。
僕もニヒリストだ。
誰かを見殺しにして、僕は僕の物語からいずれフェードアウトしてしまうだろう。
別れを告げられて・・・非情の置き去りにさえ・・・無言を通して・・・。

広大な埋め立て地で再会する夏那子と浄子。そこは庄田が幻想に紛れ込んだ最初の場所だ。あるいはかつての闘争の場、戦場であったかも・・・。
「もうすっかり終わったのね・・何もかも・・」と、浄子。
「・・・まだ、することがあるわ」と、夏那子。
「・・・遠くへ行って?」
夏那子は答える。
「私は、私の神さまであったものを、ぶちに、よ」
歩き去る二人。
「DEAD END」の立て札。
その先にぼんやりと見えるのは・・・鉄条網?基地?・・行き止まり・・・。

戦争は終結した。跡形も無い、敗残だった。
どこか遠くでは今だ戦火が上がっているだろうが、もはや我々の戦場ではない。
残された行為は、戦いではなく、叱責。
革命ではなく、憎悪と罵倒。
神とは何だ?
思想か、理想か、宗教か、それとも・・・。
何でもいいのかもしれない。
ただ神という大袈裟な形容をあえて冠してやること、その相手を幼児のようにぶってやること・・・失ってはならないのは、この恐ろしいまでに無邪気で高潔な、憤怒だ。真っ赤に弾ける、赤子の泣き声だ。
神はまだ見える。ぼんやりと、我々の行く手を永遠に塞いでいる。
煉獄に留まること。
幻想に行き止まること。
我々はまだ「DEAD END」に背を向けられるのだ。
自分の生をどこまでイメージ出来るか・・・我々はこの映画に問われているのだ。

52年、70年、80年、そして2006年。
僕は革命家になれなかった。
幻想に死ねなかった。
だからこの映画を挽歌として愛せる。
自由への哀切たるイメージとして、理想に殉教した英雄達への畏敬として、僕は慈しむ。
己の煉獄を深く噛み締めて、なおも生き残る。

















テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
東良美希さんのリンクから来て、ずっとさかのぼって読みました。脳がくらくらする、すげえ文章だと思いました!読んでます。書いてください。
ヒタチ
2006/06/04 16:18

コメントする help

ニックネーム
本 文
革命・幻想・イメージ・・映画メモ「煉獄エロイカ」 AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる