AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS バケモノがいる・・映画メモ「白昼の通り魔」

<<   作成日時 : 2006/04/16 11:41   >>

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66年 監督大島渚 原作武田泰淳 脚本田村孟 出演佐藤慶 川口小枝 小山明子
戸浦六宏 渡辺文雄

”変わらぬ光を 胸に秘めて 祖国の灯のため 戦わん 若き益荒男の 赤く燃ゆる 黄金の灯し火 永久(とわ)に消えず”
白昼、男が女を犯す。
民族運動のような歌を口ずさみながら洗濯していた若い女を襲う。俺は命の恩人だぞ、神様と同じゃねぇかとうそぶき、包丁で脅し、縛って猿轡をかまし、二階へかついで運ぶ。女は男をよく知っていた。同郷で、英助という名で、妻があることも分っていた。
季節は夏。焼け付くような真夏。
「見るな」
首を締められながらも睨み付ける女を平手打ちし、気を失わせたところで初めて男は優しくなった。慈しむように、崇めるように女の体をまさぐった。
「シノ・・」
英助はこの女シノとの最初の交わりを追想した。
真昼の山林の中。首吊り死体の元で英助はシノを犯した。絶命の男をあざ笑いながら、やはり失神したままのシノを、英助は貪った。

露出オーバー気味の閃光にまみれた白黒映像が壊れ続ける。とんでもない数の細かいカットに延々砕け散っていく。
顔、目、口・・・汗、息・・・右、左、斜め、上下・・・・。
人物は絶えず切り刻まれる。一刻の猶予も与えられず、八つ裂きにされてしまう。
責め立てるように。偏執的なまでに。抉りとらんばかりに。
この映画そのものが、通り魔だ。我々を徹底して糾弾する、悪魔の映像だ。
なぜそこまでされなければならないのか?
我々がここまで報いを受ける罪業とは、一体何なのだ?

英助は全国指名手配の連続強姦魔だった。
シノの中で射精しようとしたところをその家の女主人に見られた英助は女の激しい抵抗に激怒し、初めて殺人まで犯した。
シノは、そのまま逃亡した英助の妻で、田舎の中学校教師であるマツ子に手紙を書く。白昼の通り魔は英助です、警察に英助の名を言ってもいいですか、と。
手紙を読んだマツ子は、墓参りをする。英助が笑って見上げた首吊り自殺の男源治の墓にだ。
「源治さん。あんたはよかったねぇ、早いとこ死んじまって・・。本当に羨ましいよ。私達はいつどこから間違い始めたんだろうねぇ・・・今になって、泣いても逆立ちしても水の泡だけどさ・・」
源治の声がする。”しようがねぇわさ、先生は自分の考え通り夢中にやってきたんじゃねぇかや”
「その通りよ。私は英助を愛した。英助が白昼の通り魔でも、愛さないわけにはいかないんよ。だけど、だけんどもさ、何とか他に道があって・・」
”道はねぇよ。俺がシノを好きになって、先生は英助を好きになって、それが始まりだからな”
「違う、違うってば。好きになったんが始まりじゃないんよ、皆がバラバラになったから・・」
”さあ、どっちが先かな・・・”
かつて信州のその村で、マツ子、源治、英助、シノら数人の若者グループが、資金を出し合って共同農営運動を行っていた。インテリのマツ子は思想的リーダーで、村長の息子という資産階級でありながら源治も真摯に参加していた。
だが洪水で共同飼育小屋が押し流され、計画が頓挫したあたりから、彼等の理想を求める運動は迷走し始める。
「今まで以上に皆の精神だ。精神をしっかりさせて団結せねばな」
源治の訴えもシノの当たり前の言葉にかき消される。「ブタ小屋立て直すには精神より銭でしょうが。村長にもう一辺頼んでみれば」
父親に逆らえない源治は言葉を濁すしかない・・・。
食うために結局バラバラになっていくメンバー達。
「恋愛は無償の行為です・・・無は無い、償は償うって言う字・・」
公民館での青年集会で、マツ子の観念論がただ空疎に響くのみ。
村長達の宴会場から酒かっぱらってきた、と笑う英助にマツ子は聞く。
「わかるわね」
「ああ」
「英助さんには分ってるよね。恋するものが平等で差別がないってことは、今の時代じゃ当たり前のことよ。でもね、無償の行為だってことについちゃ、まだまだ理解されてないんよ。無償っていうのは損得抜き、お返しを期待しないことよ。商売や政治とは全く違ったものです」
得意げに続けるマツ子にシノがたまりかねたように言う。
「恋愛なんかしてたら、あたいんちは、飢え死にしちまうよ!」
「死ぬっちゅうのも無償の行為かね?先生」と、英助。
回想が途切れ、マツ子は源治の墓につぶやく。
「今考えてみれば・・・大勢の人間が力を合わせるなんてこと、私自身がもう信じなくなってたんよ。結局は一人と一人の素晴らしい結びつきだけ・・・」
”それが先生と英助か?”
亡霊に向かってマツ子は叫ぶ。
「恋愛は無償の行為よ!」

恋愛は商売とも政治とも違う。平等で無償の行為だ、と・・・。
しかし恋愛では生きられない。無償では食っていけない。人間は平等には産まれていない。
商売や政治は不平等だ。そしてすべてが損得至上の成果主義だ。
それでも人は生きる。理想を忘れて今日のメシのためにお返しを熱望する。
大勢の人間に恋愛は出来ない。愛する者、愛される者、愛されない者・・・平等などどこにもない。だから力を、みんなの心を、ひとつに合わせるなんてこと、あり得ない。
人々は間違い始めたのか。
それとも最初からそんな理想こそが大間違いだったのか。
誰にも分らない。一人になっても分らない。
死を羨望するしかないのか。そこにしか無償は、ないのか。
けれど先に死んで得をする人間も・・・多分いる。

ふいに英助がマツ子の前に現れる。マツ子は、私を殺して一緒に死になさい、と訴えるが英助は耳を貸さない。押し倒されたマツ子は英助に怒鳴る。
「殺して!力いっぱい締めて!他の女にしたように!」
「・・・・」
「・・・どうしたの?早くして・・」
冷めた顔でマツ子を振り捨て、英助は再び逃亡する。

死を命令する人間。死を我欲化する人間。
彼女は愛されない。殺される資格もない。
被害者に嫉妬する女の本能。それを侮蔑する男の煩悩。
陵辱された者への倒錯したコンプレックス。美や知性といった権威に畏縮する、ひねくれたエスケープ。
恋愛は性を狂わせる。性が恋愛を歪めてしまう。
教養も野性も人間を解放しない。我々は全員、首を絞められながら、生殺しで生かされている・・・。

シノと刑事の会話。
「犯罪者はみんな若い時から罪を犯すんですか?」
「それは人によるね」
「一度犯すと、何が何でもやめられないんかね?」
「それも人によるとしか言いようがないな」
「続けて犯す人間は楽しいからやる、そういうことですか?やりたくてやりたくてしようがなくなるような・・」
「・・・君はどう思う?」
「私は・・・きっとそういう人間も、苦しんだり嫌になったりすると思う」
「じゃあなぜもう一遍繰り返すのかね?」
「それをしないと生きてる気がしなくなって・・」
「生きてる気が?」
「はい、体中が震えるような」
「通り魔からあんたはそういうことを感じたのかね?」
「はい・・あいつは、私がおっかない、怖いと思った時興奮しました。体が震えてました。初めて・・」
「君の言葉で言えば、楽しい興奮なのかね?苦しい興奮なのかね?」
「それが分らないから私は聞いてるんです」
「同じような犯罪を続けて犯す人間は第一回目、最初の時は大抵誰にも見つけられていない・・あのことは俺しか知らんぞ、そう考えるだけで犯罪と同じように楽しくなってくる。第二回目は計画的になる」
「通り魔もそうなんですか?」

僕は若い頃からAVに出た。一度イジメ物に出てから何が何でもやめられなくなった。続けて出演する人間は楽しいから出る。やりたくてやりたくてしようがなくなって、また出る。
だが、僕も苦しんだ。嫌になったことが何度もあった。
けれどもう一遍もう一遍と繰り返すのは、それをしないと生きてる気がしなくなって・・・体中が震えるような・・・それは苦しい興奮だ。楽しい興奮だ。
AVで女の子を責めている時の僕の本心なんて誰からも見つけられない。
僕しか知らんぞ。そう考えることが・・・でも楽しくはない。むしろ悲しい。切ない。
僕は相手のAV女優をおっかないと思ったことはない。怖いと感じて興奮はしない。
僕のAV女優は気を失ってなどはいないから。失神している女体に僕は興味はないから。
しかし本番中の、カメラの前の、芸名しか名乗らない女なんて・・・あくまでAV女優なんて・・・本人ではない。素の彼女ではない。生身の女ではない。
自分を忘れているAV女優。本物の自分を封じ込めている仮の女。
それは生きていると言えるのか。正気の女と呼べるのか。失神したふりをしてる、その場限りの死体と同じ、そんな女体ではないのか。女の性ではないのか。
僕はそういう女の子しか嬲れない。AV女優以外、本気になって加虐することが出来ない。
僕も通り魔だ。
相手に対しての興奮ではなく、己自身への絶望に体中を震わせている、科人(とがにん)なのだ。

シノはマツ子に手紙で告白する。
運動が駄目になり、一家心中を考えるほど金に困ったシノは、源治から借金し身を任せた。もっとも奔放と自然さが鈍感なまでにブレンドされた現代娘シノにとってそれは楽しくてたまらない愉悦の時間だった。しかし英助がその密会を目撃し、かねてから裕福な源治を嫌っていた彼は、嫉妬と羨望から村中に吹聴してしまう。
マツ子は作文の授業中、課題として黒板にこう記す。
”自由、平等、権利・・・愛、人類・・・”

戦後民主主義・・・国民の自由、人間の平等、大衆の権利・・・。
愛は人類を救う?とっくに大風呂敷テレビのタイトルだ。
生きる権利のために自分を売る。喜んで提供する。
性は平等。愛も、そして嫉妬も策謀も、人間の自由。
民主主義とはこういうことか。それで一体誰等が幸せになれたのだ。
人類などどこにいる?人間をこんな風に教育したのは、どこの先人だ?いかなる学び舎だ?

マツ子は思い出す。英助にそそのかされたマツ子は源治とシノの密会を見に出かけたことがあった。結局シノは来ず、源治一人が村の衆に恥をさらしたのだが、公民館へ戻ると英助が待ち構えていてマツ子を襲おうとした。
「源治とシノがどんな具合にしてたか教えてやるよ」
「離しなさい!・・・・ここは公民館よ」
「ああ、若けえ衆みんなの部屋さ、もう誰も来ねえけどよ」
「私は先生よ、中学であんたを教えた・・」
「民主主義と無償の行為を教わった」
厳しくたしなめていたのもつかの間。
「英助・・ねぇ・・触るだけよ・・触るだけ・・」
と、英助を受け入れようとしたマツ子を英助はぶつ。
「触るだけって約束してくれたらよかったんよ・・・本当は私、英助さん好きなんだから」
マツ子は彼の荒々しい男性に前から惚れていたのだ。
「偽善者め!」
英助は吐き捨てて去った。

この映画は戦後民主主義の挫折を描いた寓話といわれている。そのものズバリの言葉が出て来るのはここ一個所だけである。それも最も愚劣で無学で粗暴な男の口から。
彼はやりたいことしかやらない。欲望のままに生き、快楽という見返りしか求めない。そんな男にかしずいてしまう女。誰もいなければ、民衆が知らなければ、いくらでもエゴを剥き出しにする、卑怯な指導者。
戦後は偽善だったのか。
民と官と、本当に欺瞞に満ちていたのは、どちらだったのだ?

三十五件にも及ぶ通り魔の犯行が続く中、シノはマツ子に再び告白の手紙を送る。
父親のいいなりに村会議員に立候補させられた源治は圧倒的な得票数で当選してしまう。このまま権力機構に絡め捕られるだけの人生に絶望した源治は死を決意し、俺が好きなら一緒に死んでくれ、とシノに乞う。源治の援助で新しい農場を手にしたシノの頭はそっちに夢中だったが、源治を憐れんだか、かつては自分も金がなくなり死にたいと言った手前か、深く考えもせずに源治に同調する。
だが、シノは知らなかった。源治はシノと会う前、マツ子に結婚を申し込んでいたのだ。マツ子が断ると源治は徹夜で編んだ縄を見せ、首をくくると迫ったが、マツ子は笑って本気にしない。それで源治はシノを誘ったのだ。
一方マツ子は不安を覚え、英助に源治を探してきてくれ、と頼む。英助は渋々承知し、山に入っていくシノと源治の後をつける。
林の奥、大木の前に辿り着いた二人。
「僕のこと愛してるんなら僕の後からついてくるはずだな?もしも口先だけで本心愛してないなら、ついてこないはずだな?」どちらにも、うなずくシノ。
源治が二本の縄を吊るすとシノも木に登る。笑って宙に舞う源治。シノも追う。
だが、シノの縄は切れ、落ちたシノは気を失う。
現れた英助は、目を見開いたままぶら下がった源治の死体を見上げてニヤリと頬を歪める。
「見てろ、源治・・・よく見とけ!」
英助は気絶したままのシノを犯した。死んでしまったような女と、セックスした。

世俗の欲望を否定する者。
そんなブルジョアの苦悩を唾棄し、眼前の情慾に没入する者。
勝者はどちらか・・・互いに見合って・・・見つめ見せつけ合って・・・。
贅沢な死は滑稽だ。貧しい性は哀れな狂気だ。
戦後日本は、日本人は、このどちらかになった。ぶら下がろうとするか、地を這って貪るか・・・・。
どちらも殺される。両者をそこまで追い詰めた見えない影に、包囲され圧殺される。負け犬、狂犬、と烙印を押されながら・・・。

シノは修学旅行先のマツ子を訪ねる。
二人は苦々しく回想し合う。
源治の死は村会の圧力によって心臓発作として処理された。生き残ったシノが村を出て行くと、マツ子は英助からすべてを聞き出した。
「犯罪者!源治さん見殺しにしてその上シノちゃんまで・・ケダモノ!」と罵るマツ子を、首を締めて失神させた英助はシノの時と同じようにマツ子を犯した。それが二人の夫婦としての始まりだった。
シノも語る。
首吊りの失神から気がついたシノは、自分が犯されたことを察し、英助を責め立てるが、英助は不敵に答える。
「テメエは死人だったんだ、死人なら何をしても構わなかんべな」
「好きだなんて嘘じゃねぇか」
「ああ、嘘だとも。テメエなんかどっちかと言やあ憎らしいくらいなもんだ」
「じゃあ憎らしくてしたんだな?」
「・・・そうじゃねぇ!・・・死んでりゃ人間じゃねぇ、女でもねぇ、ただのモノよ、物体よ!それをいじろうが切り裂こうが、どこがどうだっていうんだ!」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・バケモノ・・・」
「ああ、バケモノよ、俺は・・」
「・・・もうお前なんざ見たかねぇ!」
「俺はバケモノだからな、何回でも同じようにしてくれるぞ、何回でも同じことをな!」

権力は死をも操る。支配は、現実さえも黒く塗り潰す。
個人に出来るのは死に甘えるだけ。持たざる者は、より無防な者から略奪するだけ。
モノなら構わない。何をしようが、何とも思わなくても、どうということはない。
同じ死だ。変わりのない力のエゴだ。
だのに個人はバケモノと呼ばれる。精一杯ギリギリに抗弁する孤立した者だけが、ケダモノ、バケモノ、と罵倒され、犯罪者にされる。
バケモノは、支配の側だろうに。その権勢が、個的なバケモノを生んだのだろうに。
僕もバケモノだ。
好きでもないAV女優を、人間じゃない、ただのモノ、物体として、いじり切り裂き、何回も、何回でも、何をしようと・・・・。
僕はケダモノだ。
いつか、いやすでに、暗黒下の被告席にいるんだ。

英助は遂に逮捕され、こう供述する。
「シノが源治などに惚れないで俺と結婚してさえいてくれたら、俺はこれほどグレないですんだ。シノが心中した後、命を救ってやり、気を失った体に悪さしてから、その味を覚え、酒を飲むと制止出来なくなった・・」
シノの叫びがかぶる。
じゃあ英助の犯罪の原因はあたいにあるんか?!そう言いたいんだね。
「俺の女房は教師などしていて、自分で世の中や人間のことが分っているように思っている駄目な偽善者だ。俺は彼女の本性をよく知っていたから、彼女のところを飛び出し、わざと女房が恐ろしがることをやらないではいられなかった」
マツ子の叫びも重なる。
私に復讐するためにあんな犯罪をやったんね?私と結婚しなけりゃこんなことにはならなかったって言うんね?!
「そうじゃない・・俺が違うところで生まれて、シノやマツ子と一緒にいなくても、小山田英助は小山田英助だ、きっと同じことをしたに違いない・・・」
二人の女は悪霊の声から逃れるように真昼の繁華街を走り、やがて倒れる。うずくまる二人を遠巻きにする人々の波、大衆の渦・・・。

犯罪は理由を求められる。凶悪犯ほど原因を追求される。
そしてその多くは個人から個人への私怨で片付けられる。親がこうで、友達がこうで、男が女が、こうで・・・・そこに社会はない、時代はない、国家はない。
遠巻きで嘲るだけ。決して近寄ることなく冷笑し、断罪するだけ。
だから我々は主張しなければならない。
男でも女でも、友達でも親でも、誰のせいでもない。いかなる個人も関係ない。
俺は俺だ。どこで生まれようが、俺という人間は、俺のまま、俺ひとりだ。
我々は悪霊にならなくてはならない。個人へ対してのではなく、国家に向けての呪わしい悪霊と化さなければならない。
四十年前、確かに悪霊の言霊は聞こえていた。戦後日本に狂おしく地の底から鳴り響いていた。
僕は聞くことが出来る。
逃げることしか叶わなくなった僕ではあるが、こうしてその言霊にうずくまることが出来る。
僕も僕だ。
僕という人間は、もはや僕のまま、僕ひとりだ。

マツ子とシノが汽車の座席で向かい合っている。マツ子は英助の死刑を予感していた。
「私は今こんな風にしてるより、誰かに背中から棒でぶたれた方がいい。思いっきり頭がジンと痺れて何にも考えられないぐらいきつく、続けざまに・・・」
シノを無視して、マツ子は続ける。
「白昼の通り魔の手にかかって殺された女の人は沢山いる・・その人達はほんの偶然のことで、英助の名前も経歴も知らないで殺されちまった・・いきなりただの暴漢に襲われてね。でも私は通り魔がどんな男か詳しく知ってるし、結婚までした・・・それなのに殺されないで今も生きてる・・」
「先生、もうやめなってば」
「今私は英助を愛してるのか憎んでるのか、そのどっちでもないのか分らなくなっています。でも私と英助は結びついてるんよ、私だけは、私一人だけは・・」
「先生、じゃあ死刑になる通り魔と心中なさるおつもりかね?」
「心中は出来ないんよ。そうでしょうが?私が自殺してもそれは英助にとっても私にとっても心中になることは出来ないんよ」
「そんだったら先生と英助は何も結びついてなど、おらんじゃないね」
「いいんよ、そんなこと言ってくれなくても・・・英助と・・白昼の通り魔と結びついていない私なんてどこにもいないんだもの・・」
シノは必死で反論するがマツ子は変わらない。
「向こうの気持ちがどうだからって言っても、結びついているものは結びついてるんよ!」
「だったら、だったらあれかい・・・あたいと先生も、結びついてるのかい?」
「・・・・そうよ・・そうです」
「じゃあそうだとすれば、どうすりゃいいんだね?」
「二人で一緒に・・・・死ぬのよ」
「先生と、あたいと?」
「ええ・・・ふたりで・・・」
「・・・・」

白昼の通り魔とは何か?
沢山の人間を理不尽に唐突に、ただ偶然のままに犯し、殺して行く存在。
何も知らないまま命を奪われていく人間達。何もかも分っていながら死に損なってばかりの人間達。
白昼の通り魔とは、今そこにある現実そのもの・・・?
愛しているのか憎んでいるのか、そのどちらでもないのか。
だが、現実はいかなる時も我々と結びついている。どんな時代であろうと、我々が結び付けられている現実が、確かにある。
民主主義か、格差社会か、拝金の掟か。
我々はその現実と心中することは出来ない。現実を殺して自分も死ぬことは叶わない。
人は人と死ぬしかないのだ。殺しであれ心中であれ、人は誰かとしか死ねないように作られているのだ。
白昼の通り魔は総括されない。運動の、闘争の、革命の果てに産み落とされた怪物は、再び我々の陣営へ帰ってくることはない。
現実は遠いのだ。我々の手ではもはやどうにもならないのだ。しかも永遠に厳しく結びつけられている。
我々は死なねばならない。現実を残して、一人一人、死んでいくしかない。

二人は源治が縊死した同じ場所で毒を煽るが、またしてもシノだけが蘇生してしまう。マツ子の死体を担いだシノは、村内放送で、英助に死刑判決が下されたことを知る。
「また生き残っちまった私一人・・・先生、何で死んだんだよ?」
マツ子は答えない。
「・・・源治さん、何で死んだんだよ!」
源治の声はしない。
「・・・英助ぇー!」
真夏の山は答えず、村はいつもと変わりなく、静寂の底だ。
「また生き残っちまった・・・ハタチだっていうのに・・・ハタチで・・・」
シノはマツ子の亡骸を担いで山を下る。林を抜け、白昼の村へ戻っていく・・・。

しかしすべての人間が死ぬことは出来ない。若い命は、早過ぎる死を選ぶことは許されない。
戦後二十年。まだたった二十年。ハタチの日本。ハタチの民主主義。
死ねる人間はいい。敗北と共に退場出来る人間はいい。処刑される人間は、もっといい。
我々はまだ生き残っている。日本は生き残っている。民主主義は、依然として続いている。
我々に出来ることは何だ?
鎮魂か、前進か、回帰か・・・蘇生か・・・。
国家は揺るがない。理想は甦らない。誰も答えない。

この映画は実話を基にしている・・・。
こういう通り魔がいた。二度心中し損った女が、いた。

僕はもう死ねる年だ。退場を認められた存在だ。殺されてもいい、人間だ。
戦後六十一年。日本もそうか。この映画が撮影されて四十年。時代もそうか。僕は四十五年。やっぱりそうか。
生き残っちまった。ハタチでもないのに、ずっと一人だったのに、生き残っちまった。
戦後民主主義の元、通り魔に成り損ないながら、僕は罪を重ねた。どうしようもなく現実という名のバケモノと結びつきながら、僕の人生は、白く白く、モノクロよりも砂よりも、眩し過ぎる日の光よりも、白ちゃけて粉々に乾き散った。
僕はもう一度死を試すべきか。
潔く死ねる自分を、宙に吊られる己を、夢想すべきか。
だが、一緒に死ぬ人はいない。心中の相手はどこにもいない。
僕は消えるだけだ。暗黒ではなく、闇ではなく、白光に、漂白の業に押し潰されて、僕の死体は、モノとなって見えなくなるんだ。


























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