AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

アクセスカウンタ

zoom RSS 心のままに生きよ・・「燃えよ!カンフー」詩録

<<   作成日時 : 2006/03/21 18:30   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

「お前は泣きも笑いもせんのか?」「自己を律せよと教えられました」「その目的は充実した人生を存分に生きることだ」「でも、私の涙は自分を憐れむ安っぽい涙かもしれないのです。私の笑いは自分の幸せを誇示するものかも」「森で歌っている小鳥は、歌のうまさを褒めてもらおうと歌っているのか?お前の心が悲しい時には涙を流すがいい。心が感じるままに従えばよいのだ」

僧は落馬して腕を怪我した娘グレイチェンを助けたことから、彼女が信仰するフート教の信者の一団と行動を共にする。
彼等は沢山の羊を飼って自給自足の共同生活を送っていたが、厳しい戒律と、男女問わず黒づくめの服装を頑に守っていたせいか、常に世間からの偏見にさらされる移住の徒だった。リーダーの老人オットー・シュルツは高潔な人物だったが、極めて排他的、独善的でもあった。
僧「私が、あの人が治るまで、代わりに仕事を・・」
「親切はありがたいのだが、しかし我々は外部の者は入れないことにしているのだ」
僧「恐ろしいんですか?」
「魂のためだ。我々は神を怖れつつ、つましく暮らしている。外部の人間は、我々を堕落させ、悪の道へと誘う」
困惑した僧はカメレオンの話をしてみる。
僧「彼は敵から自分の身を守るために、体の色を様々に変えます。しかし、彼自身は変わりません。あくまでカメレオンです」
「・・・変わった人物だ。妻や子はあるのかね?」
僧「いいえ。あなたは?」
「みんな、私の子供だ」
僧「どういうことですか?」
「私は神に仕える身だ。このグループを自分の家族として守ってやり、導くことが私の務めだ」
僧「・・・私も道を求める者です。あなたとは・・違う道でしょうが・・」
「・・・グレイチェンのために、君が示した親切に我々も報いねばならぬ。宿と食べ物を提供しよう」
僧「ありがとうございます」
「今夜一晩だ。言っておくが、君のそのトカゲのようにはなれん」
僧「カメレオンですか」
「私は変わらん。家族の者にも変わってもらいたくないのだ。髪の毛一筋の色も変えるのを望まん。それが罪の道に通じないと、誰が言える?」

変わることは罪だろうか。
身を守るため、つまり生きるために変わることが、堕落した悪の道だろうか。
人は生きることに目的を見い出そうとする。それを務めだと信じようとする。だが神とは何だ?一体仕えるに確かなものが、どこにあるというのか・・。
神が怖れであってはならない。信仰が恐怖や脅しになっては元も子もない。
快楽も恐怖だ。けれど清貧もまた、戒めと化しては、底知れない恐怖の源だ。
僕の求める道とは・・・僕は臆病だ。だから、恐れるようなものからは、どこまでも遠ざかりたいんだ。

歌を歌いながら丸太を切っていた僧はシュルツにやめさせられる。ここでは禁じられているのだ、と。
僧「ああ、すいません・・・でもその方が・・仕事が楽に出来るし、はかどるのでは?」
「楽であってはいけないのだ。辛い労働が、人間に課せられた務めだ」
僧「しかし・・歌うことによって、肉体が持っている力を発揮でき、さらに働く喜びを感じられるのでは?」
「労働は人生の苦しみの一つだ。苦しみは魂を清める」
僧「・・・・」
グレイチェンの父が僧に声をかける。
「オットーは、人生は楽しむものではない、と言うんだ。労働は、遊びではない」

務めなどあってはならない。
人間は何も課せられる必要はない。
苦しみが魂を清めるなどとは、ただの思い上がりだ。むしろ苦しみから逃れたくて人は歪み、罪深くなっていくのだ。
労働が遊びでもいい。
人生が享楽になってもいい。
苦しんでいる人ほど助けてもらえないのだから。楽を許されない人ほど、さらなる務めで縛り付けられてゆくのが現実だから。
強い人間は、それだけで傲慢だ。他人に苦しみを無意識に押し付けた上で勝っているだけなのだ。
魂は弱いところでこそ清められる。そして強いられた苦しみからは絶対に救われなければならない。

僧は少林寺時代の高僧との問答を回想する。
僧「先生。わからないことがあります」
「疑問を持ったことが、知恵の始まりだ」
僧「私は先生が、笑うのを、そして泣くのを見ました」
「お前は泣きも笑いもせんのか?」
僧「自己を律せよ、と教えられました」
「その目的は、充実した人生を存分に生きることだ」
僧「・・・でも・・私の涙は・・自分を憐れむ、安っぽい涙かもしれないのです。私の笑いは、自分の幸せを誇示するものかも・・・」
「森で歌っている小鳥は、歌のうまさを褒めてもらおうと歌っているのか?お前の心が、悲しい時には涙を流すがいい。心が感じるままに、従えばよいのだ」
僧「・・・・・」

自己を律する。結構だ。
負けるな、休むな、泣き言を言うな。
勝ち負けなど他人が無責任に決めることだ。休みなく働いた先に何が待っているんだ。人間は、心から純粋に泣ける動物のはずじゃないのか。
自分を自分しか憐れんでくれない孤独な者もいる。安っぽい涙しか流せない人生のはぐれ者もある。
もし誰かが一人でも側で憐れんでくれたら・・一緒に情けない涙を黙って流してくれたなら・・・彼等はもう少しもう少しだけ、生きてみようと思ったかもしれないのに・・。
悲しい時に泣いて、どこが悪い?
弱っている時に嘆いて、どこがおかしい?
心が感じるままに、憐れみを乞うて、何がいけない?誰に許されない?
疑問を抱くことも忘れて笑いと勢力を誇示する多数派。
奴等に哀しみの知恵はない。小鳥のさえずりも、聞こえやしない。

夜、僧はグレイチェンの父に尋ねる。
僧「何の楽しみも感じずに、一日中、ああやって働いているんですか?」
「いや、正直に言うが、昨日私は二人の仲間と羊を入れるための小屋を造っていた。丸太を切って積み上げ、最後の一本の釘を打ち終わった時、その、何かを成し遂げたという喜びが、自然に胸に沸き上がって来た」
僧「・・・」
「オットー・シュルツは、そういう感情を抱いてはいけないと言うのだが・・・」
僧「悪いことだと思いますか?」
「オットーは賢い。私は学問もない、ただの羊飼いだ」

賢さが人間らしさを奪う。
知識の量が自然の営みを否定する。
学問よりも、権威よりも、大事なことは感じることだ。己の発する心の声に素直に耳を傾けることだ。
高い所に居座ろうとする輩はそれを恐れる。何よりも拒絶する。
心の声に戒律はいらないから。無論、高い低いもあり得ないから。

森の中、僧の吹く笛の音に、グレイチェンが引き寄せられる。彼女は笛を知らず、聴いたこともないと言う。
「オットー・シュルツが、そういうものは、人を怠け者にするだけで何の益もない、下らないものだって」
僧「それも神の教えですか?」
「オットー・シュルツが、そう言うんだけど・・」
僧「・・・」
「でも聖書にそんなこと出てないわ」
聖書を知ってるの?とグレイチェンは問う。
僧「他の人から、素晴らしいものだと聞きました。その中には悲しい歌や、歓びの歌もあるとか」
「そうよ。私、ソロモンの詩編を繰り返し繰り返し読んだわ。でもオットー・シュルツは、自分を憐れんでいると思われるから、悲しみ苦しみを表してはいけない、と言うの」
僧「・・・・」
「笑ってもいけないって。他人に自分の幸せを羨む心を起こさせるからって、音楽も聴く者に喜びや悲しみを感じさせるからって、許してくれないの」
僧「・・・でも・・・耳を澄ませば・・風が、鳴いているのが聞こえる。雨の雫が、歌ったり踊ったりするのを見たことは?」
「あるわ・・・でもそういうことを話してもいけないの・・・」
僧「・・・私の笛が気に触ったのなら許して下さい」
「私、笛の音を聴きながら、立ち去ることが出来なかったの。とても綺麗だったわ・・・よく笛を吹くの?」
僧「ええ・・・笛は、孤独な心を癒してくれる」
「私、仲間以外の人と話をしたのは、あなたが初めてなの」
僧「あなたの平和を乱すのなら失礼します」
「いいの・・・いてほしいの・・」

怠け者でいいじゃないか。下らないものが人を和ませたって、構わないじゃないか。
聖書だって生きている。生きた書物でなければ、生きている人々の苦悩に答えられるはずがない。
自分を憐れむ。
悲しみ、苦しみとは本来そういうものだ。他人は代わってやれないのだから。
笑いが人を不快にさせることは確かにある。僕なんて他人の幸福を毎日毎時、羨んで生きている。
それがそんなに過ちか?
僕は人の笑いに怒りを覚えることがある。殺してやりたくなるほど憎悪を抱くこともある。
だが、僕にも風の音は聞こえる。雨の囁きも感じ取れる。
僕にとっては、怒りや憎しみさえもが、遠い癒しになることがある。かろうじて自分を支える心の接ぎ穂になることがある。
僕にとって唯一の平和かもしれない。裏切りや嘲りが、僕を生かしてきたのかもしれない。
誰の教えでもない。どこにもそんなこと、書いていない。
ただ、僕にはまだ悲しみも喜びもある。
哀しい歌も歓びの歌も聴くことが出来る。
僕は間違っては、いない。僕は、僕で、いるしかない。

僧は高僧の言葉を思い出す。
「泥の船が水に浮かぶのは、中に空間があるからだ。家に扉や窓を付ければ、そこから光が差し込む。車輪にヤを付ければ、中央の穴が生きる。何事にも、空間が必要なのだ。心にも余裕があれば、公平な判断が出来る」

泥のように疲れた人こそ、水面にそっと浮かんでいたい。
真っ暗な部屋に籠っている人こそ、一筋の光が欲しい。
うずくまっている人こそ、静かに回って進んで行きたい。
空間とは、ほんの少しの勇気だ。いや、開き直りでも、自棄でも、甘えでもいいのだ。
弱り果てた魂に必要なのは、余裕だけだ。
それは誰よりも自分を認めること、今のままの、ありのままの、自分自身を受け入れてやること。
理不尽と不公平にさらされている人は、それでやっと平等なんだ。
当たり前の存在に、なれるんだ。

横暴な牧場主がシュルツ達にこの土地から出て行け、と脅しをかけてきた。
羊の病気が自分達の牛に感染してはたまらない、と決めつけ、長年の経験からその可能性はまったく無い、というシュルツ達の訴えにも耳を貸さない。
無抵抗主義を貫くシュルツは、渋々旅立ちを決意する。グレイチェンの父は言う。
「しかし、オットー、新しい泉までは遠い」
「争うことは出来ん」
僧「もし羊が危険でないなら、なぜあくまで守ろうとしないのです?」
「人が棒を持って怒ったら、三つの方法がある。こちらから打ち返すか、殺されるまでただ黙って殴られているか、逃げ出すかだ・・・さあ、行こう」
僧「もう一つあります」
「どんな方法だ?」
僧「相手の棒を取り上げて捨てるんです」
「どんな理由にしろ他人に対して手を上げることは出来ん。それが我々の信仰なのだ」

無抵抗主義。僕はどうか・・・。
打ち返す勇気もない。
黙って殴られ・・・イジメられっ子の頃はずっとそうだった。
逃げ出すか・・・どこへ?遠くの泉など、どこに?
相手の棒を取り上げる。他者からの暴力を阻止する。
やれない人間は仕方がない。逃げても、やり返しても構わない。
だが、出来るのにやらないのは偽善だ。裏返しの自己愛、冷たいナルシシズムだ。
そんな強さを求めることはない。
人間は弱いのなら、弱いままでもいい。
弱いから逃げ出せる。弱いから抵抗もする。弱いから、理想も追える。
僕は臆病で怠惰な抵抗主義だ。ただ、信念を持って守るべきものが、今はないんだ・・・。

慌ただしい荷造りの中、フート教であるというだけで差別と迫害の旅を育ってきたグレイチェンは、僧に訴える。
「新しい土地でまた、家を建てたり土地を耕したり、何もかも始めからやり直し・・私達いつも始めからやり直してるみたい・・・・なぜ私達をほっといてくれないの?」
僧「・・・・」
グレイチェンは荷物の中から古い人形を見つける。亡き母の思い出の品だ。
「この人形、ママが作ったの・・・でもオットー・シュルツは、オモチャや人形のような軽薄なものは持ってはいけないって言うの。焼き棄てたと思ったのに・・・」
僧「可愛い人形だ」
しまっておいて私の子供にやるわ、とグレイチェンは言う。

やり直し。人生は、いつもやり直し。
けれどそれが強制されたものであるなら、人生に希望は、ない。
ほっておかない人間達。異分子扱いしておきながら、とことん責め立ててくる、常識派達。
軽薄とは何だ?
人間のことではないのか。
ほっておかれたい、傷付いた魂。
それは人形よりもオモチャよりも、はかない。切ない。
でも伝えられることはある。誰かの、同じような疲弊した魂に、いつか届けられることもある。
焼き棄てられてはならない。どんなに古く色褪せても、魂を奪われてはならない。

グレイチェンの父も僧に尋ねる。
「教えてくれ。世間の人達は、どうして我々をそうっとしておいてくれないのだ?オットーは賢い。しかしどこへ行っても追い立てられ、我々はどこに安住の地を求めたらいい?我々が好きなように暮らせる場所はどこへ行けばあるのかね?」
僧「それは私には・・教えられません」
なおも彼は訴える。
「牧場主というのは私と同じ人間じゃないか。我々と同じように神を怖れ、同じように食べ物を必要とし、同じように労働に励み、同じように家族を愛しているんじゃないのか?我々と、どう違うんだ?!」
僧「・・わかりません・・」
「同じ人間なんだ。私が他の人達と、それほど違っているはずがない。それさえ分ってもらえれば、きっと町の人達も我々を置いてくれるだろう・・・」
父は町へ行き、保安官に事情を話してこの土地に留まれるようにしてもらおうと決心する。だが、町へ一人で行くことは、正直恐ろしいとも言う。

そうっとしておいてほしい。
追い立てるのは、やめてほしい。
沢山の魂がそれを望んでいる。孤独な叫びが、安住の地を祈願している。
同じ人間。当たり前の至言。
それを世間は認めない。
世間の神はカネだ。地位と安泰と勝利だ。
必要とする食べ物や欲望の量が違い過ぎる。
労働に励むのは弱者を蹴落とすため。
家族を愛するのも結局は自分のため。己の驕慢と権勢のため。
違うんだ。
どうしてかは分らないが、世間は弱い者とは違うのだ。
分り合えない、同じ人間。
人間同士で、恐れ合う、愚かな生き物。

僧は回想する。
「お前の足は地を引きずっているな。どんな重荷を背負っているのだ?」
僧「はぁ・・心が重いため、足も重いんです。市場に行ったんですが、男達が言い争い、殴り合い、平和はありません・・」
「なぜそれがお前を悩ませるのだ?ここは平和ではないか」
僧「すべての人に平和はないんですか?!」
「ふふ・・・昔の人がこういうことを言っている。美しいものを人が美しいと見ることが出来るのは、一方に醜いものがあるからだ。また人が善を善とわきまえるのは、一方に悪があるからだ。従って持つ者と持たない者が同時に存在し、困難なものと容易いものが互いに混じり合い、高いものと低いものは互いに譲り合い、表と裏は相手を認め合うのだ」
僧「・・・でも先生。すべての人に私達の平和と喜びを知ってもらわなくて、いいのですか?」
「世界中を全部寺にしたいと言うのか?なら太陽のようになれ。お前の内にあるもので、この地上を暖めるのだ」

裏があるから表がある。
悪があるから善がある。
醜さがあって美しさもある。
持つ者がいるから持たざる者が出てくる。
平和とは、何だ?
表が裏かもしれない。善が悪かもしれない。美の本質は醜さかもしれない。
持たざる者が、いつか持つ者になる。持ち切れないほど持ってもまだ持とうとする強慾な者になる。
人生は困難と容易のモザイク模様。
高いと思った所が低く、これ以上無く落ちた所が高みに到ることもある。
譲り合い、認め合えれば・・・。
正反対のものが、互いに無垢に、向かい合えるようであれば・・・。
人を変えるのが平和ではない。無理矢理分らせることが慈愛ではない。
自分が知るのだ。心のままに、悟り、信じ、祈り、己の内にあるものを育むのだ。
誰も太陽には、なれない。
けれど暖めることは出来る。枯らすことも焼きつけることもない、穏やかな温もりだけが、地上の静謐につながる。
僕にこんなことを言う資格があるか?
わからない・・・あなたは?

僧はグレイチェンの父に付いて町へ行く。
だが僧が保安官と相談している間に、牧場主の粗暴な部下達が父をいたぶり、一族の男としての象徴たる長いアゴ髭を剃り落としてしまう。
保安官が割って入り、シュルツ達の居住を許可し、邪魔する者は即刻逮捕すると、牧場主に釘を刺す。
しかし父の無惨に受けた屈辱は晴れるものではない。
「なぜ髭が、いけないんだろうか・・」
僧「髭を生やしても別にいけないことはないでしょう」
「では、なぜ彼等はこだわるんだ?」
僧「あなたこそなぜ、こだわるんです?あなたは教えに忠実に最後まで手を上げなかった」
「皆に私を知ってもらい、私も皆を知りたかった」
僧「あなたが、外見も皆と同じようになるのを望んだのでしょう」
「同じようになった。それなのに笑った」
僧「・・・・」
「私を恥ずかしめて喜んだ・・・オットー・シュルツの言った通りだ。彼等は我々とは違うんだ」

人を虐げて笑える人間。
意味のなさそうなことに、こだわる人間。
恥とは何だ?
自分の蔑むべき行為を恥じない人間。
誇りに執着して恥じ入る人間。
みんな違う。どちらも違う。
人間に、皆だの彼等だの我々だのが、必要か?
人間に、いけないことは、ない。同じとか違うとか、考えること自体がそもそも偏っている。
知るべきは人間そのものだ。失われてしまった、人間本来の、他愛ない素顔だ。

髭を失くした哀れな家族の姿にシュルツは驚愕するも、保安官の約束という僧の報告には納得しない。
「それが何になる?」
僧「この人が大きな犠牲を払って、勝ち得た成果じゃありませんか。もうヨソへ行く必要はないんです」
「町の者を怒らせた。その仕返しはいつか必ず我々の上に降り掛かってくるだろう」
シュルツ達は予定通り出立の準備を進める。グレイチェンが父を労る。
「外の人達は、皆ひどい人達なのね。私、一生付き合いたくないわ」
何を言う。僧だってその一人なんだ、と父は諭す。グレイチェンは僧に問う。
「私達の生き方は間違っているの?悪いのは私達の方なの?」
「私は誰にも邪魔されずに暮らせる場所が欲しいだけだ。私もまた他の人達の邪魔をしたりはしない」
「私達はただ平和に暮らしたいのよ」
僧「自分の殻の中だけに、なぜ閉じ籠るんですか?」
「・・・・・・」

正誤も善悪も、報復も不安も、殻の中で大きくなる。
憎悪も自己否定も、狭苦しい世界での禁欲とか滅私とかが肥え太らせる。
閉じ籠ってしか生きられない人々。僕もそうだ。
いつまでも仕返しされる。永遠に怯えて流浪に漂う。
しかし、僕は殻を認める。間違っていようと、悪と誹られようと、殻の持つカケガイのなさを、僕は知っている。
殻があるから、打ち破れる。
閉じ籠っていたから、積み重ねた犠牲を払える。
間違いを知ること。己の悪と向かい合うこと。
殻に閉じ籠っているうちなら邪魔はされない。狂器に満ちた外界に汚されることもない。
自力で殻から抜け出せた時、悩みも恐れもない安らぎが訪れる。
平和と呼べるかもしれない、己の心と素直に出会える。

グレイチェンの父は仲間達からさえも避けられるようになり孤立してしまう。
「よそ者のように扱った・・・もし私に、相手を傷付けずに棒を取り上げることが出来るとしたら、町の者達に対して、私はそうする」
僧「髭がそれほど大事ですか?」
「違う!髭は、またのびてくる。そのことよりも、仲間の者達に顔を背けられたことの方がずっと・・私の心に深い傷を与えた」
僧は旅を拒んで泣く一人の少年を優しく諭す。
僧「失うものを嘆くより、希望を持つといい。場所が違えば風景も変わるし、冒険も待ってる」

仲間が、よそ者を作る。暴力よりも深い心の傷を与える。
大人は失うことを何より恐れるから。守ること保つことを優先する余り、外れた者を断罪するから。
そのくせ子供からは大事なものを平然と奪い、連帯を強制する。
思い出も安息も無視して、都合という名で連行する。
子供にはまだ希望がある。風景も違って見える。冒険だってやっていける。
大人に希望はあるか。風景の違いなど感じ取れるか。冒険の心など、どこかに残っているか。
僕は子供じゃなくなった。顔を背けて生きるだけの、大人になっていた。

翌朝、旅立とうとする彼等を牧場主の一味が襲う。羊を残らず殺せと喚き、なおも抵抗しないシュルツ達をリンチにかけ、馬車にまで火を放とうとする。
遂に堪忍袋の尾が切れたグレイチェンの父は、全力で一味のタイマツを制しようと、しがみつく。僧も、ならず者達を打ち倒し、駆け付けた保安官が全員追い払う。
「終わった・・」
僧「悩みは消えましたか?」
「ああ・・私は相手を傷付けずに、棒を取り上げたのだ」
僧「・・・・」

僕に終える時が来るだろうか。
棒を取り上げ、相手を修める。いや、それ以上に、悩みが消える。
僕を襲うものは何だ?火を放つのは、どこの誰だ?

別れの時。
一族を連れて旅立とうとするシュルツ。一方グレイチェン父娘は、ここに留まることを決意する。
「羊を何頭か君に置いていこう」
「ああ・・親切にありがとう・・しかし・・私がしたことを許してくれないのかね?」
「神は教えを守ることをきびしく求めておられる。しかし人間の弱点も御存知だ。私とて責める気はない」
僧は手作りの笛をグレイチェンに渡したいと申し出る。
「パパ・・笛の音は、人の泣き声や笑い声のようにも聞こえるわ」
「そして子供達の声にも、な・・・我々はみんな神の子だ・・この笛の音を聴く時、あんたの友情をいつも思い出すだろう」
僧は笛を渡そうとして一瞬迷い、それから肩に下げた古里の笛の方をグレイチェンに譲ってあげる。

逃げてもいい。
戦ってもいい。
負けてさえ、いい。
そして相手から棒を奪う理想を求めても、いい。
人は、己の心のままに生きるべきだ。その果てで、潔く死ぬべきだ。
人間は、いつか終わる。どんな苦悩も、その時、消える。
襲いかかるのは、生であり、死だ。人は炎で焙られながら、一生を何かにしがみつきながらも、生きて行くんだ。
人の心は笛の音で癒される。泣き声によって笑い声によって、誰でもが子供にも神にもなれる。
僕も、いつか渡せるだろう。
即席でこしらえた笛ではなく、使い古しの、だが様々な想いと月日のこもった己の笛を・・・。
誰にか、はまだ分らない。
心のままに、いずれ手渡す。
あなたかもしれない人に、僕なんかでも、譲れる日がきっと来る。









amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by Kung Fu: Complete Third Season [DVD] [Import] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
心のままに生きよ・・「燃えよ!カンフー」詩録 AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる