AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

アクセスカウンタ

zoom RSS やるせなさの極地・・映画メモ「櫛の火」

<<   作成日時 : 2006/03/17 20:03   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

75年 監督神代辰巳 原作古井由吉 出演草刈正雄 ジャネット八田 河原崎長一郎 桃井かおり 名古屋章 芹明香 岸田森

やるせない映画である。その一点を極めた映画である。
冒頭、バリッとスーツで身を固めた長身のヤセ男が、巨大なパワーシャベルに追い掛けられる。ありえないシュールな絵だ。若いイケメンのくせにすっ転んでシャベルカーが頭上を通り過ぎるのを待って道路に這いつくばっている、ダサくて滑稽な図だ。
彼に若さは、ない。溌剌さなどカケラも見えない。
それなのにどこか笑っている。己のすべてを苦笑いして受け入れている。
本の間に挟んでおいた櫛を取り出し、真昼の街にかざす。櫛越しに窓外のありふれた風景を眺める。
意味はない。何の意味もありはしない。
彼の唸り声が聞こえる。ア、アァ、アァー、アァー・・・・と、喉を引きずるように唸らせている無味乾燥な音がずっと画面に流れ続ける。
そんな映画だ。全編、このノリなのだ。

ある種、異常な映画である。ストーリーを追っても、まるで面白くない。シナリオを読んでも、ただの痴話喧嘩メロドラマにしか読めない。
ほとんど普通に会話しているだけなのだ。男女が会って、ヤッて、ヤッて、喧嘩して、離れて、またくっ付いて、やり直して、ヤり返して・・・それだけが延々続くのだ。
それなのに、まともな映画ではない。当たり前のシーンが、ひとつもない。
例えば、最初の会話シーン。
夜の公園。女はブランコに乗っている。男は前の柵に腰掛けている。二人は途切れ途切れ、言葉をかけ合っている。
一度だけでいいから・・・。
可哀想ね、あなた・・・生き返りたいんでしょう・・・。
でも・・何でもないことなんだよな・・・。
あなたと私じゃ醜いわ・・・。
男はなぜか、歌をハモっている。森進一の「おふくろさん」。
おふくろさんよ・・・おふくろさん・・・空を見上げりゃあ・・空にあるぅ・・・。
女は高々とブランコを揺すり、スカートの奥を見せつけていたかと思うと、揃えた両足を男の肩に打ち付ける。跳ね上がってブランコの戻る反動で強くキツく左右の肩を何度も何度もぶっ叩く。
要するにヤらせてほしいと懇願する若い男。じらしてイジメて楽しんでいる年上の女。
たったこれだけの話が、何とも不気味な芝居を展開する。呆れるような奇妙な絵とアンニュイな空間に変容する。
そこに日常はない。あるのは、思いだけ。
どうにも、ままならない、個人の愚かな情念がみっともなく露呈されるだけ。

神代辰巳の映画には、よく歌が使用される。通常のテーマ曲ではない。
民謡、演歌、春歌、極々ありふれた歌謡曲・・・。
それらがモノローグ代わりに使われる。つまり主演俳優のアカペラで様々なシーンに挿入される。
この映画では、「おふくろさん」だ。
”おふくろさんよ おふくろさん 空を見上げりゃ 空にある”
このあたりのフレーズが頻繁に出て来る。ヤる前、ヤッた後、とにかく理由もなく男は歌う。女まで歌う。
”雨の降る日は 傘になり お前もいつかは 世の中の 傘になれよと 教えてくれた あなたの あなたの 真実 忘れはしない・・・・”
だが、歌詞に意味はない。ほとんど歌詞を分らせるようには誰も歌っていない。
うなっているだけ。がなってばかりいるだけ。
それが、実に合うのだ。その場のアエギをもよおすような心情が、この上もなく醸し出されるのだ。
この庶民性などというものを通り越した、心象効果は何だ?
ここまで、通俗性の中から、人間の本質に迫る独特の世界観は、どう言うのだ?
クマシロワールド、と讃えるしかない。彼にしか造り得なかった孤高の映像空間と認めるしかない。
この映画は大手映画会社のれっきとした娯楽作品だ。当時のアイドルを主演に据えた、ソフトエロチックが売りの恋愛物だ。
それで全編、怖れも躊躇いも知らぬ驚異のクマシロワールドときた。
こんな映画がよくあり得たものだ。それほど何ともしようのない、色褪せた時代があったということなのだ。
ひょっとして今もなお・・・。

広部は、大学の同級生だった弥須子と再会するが翌日彼女は入院し、十日後に亡くなってしまった。各大学のバリケードを転々とするほどの運動家だった彼女はあっさり死に、まったくの三無主義(無関心、無気力、無感動)だった彼は為す術もなく目の前で彼女を看取るしかなかった。
霊安室で看護婦から渡されたのは形見の櫛ひとつ。
三年後、広部は人妻の征子と関係を持ち、おふくろさんよ、ああぁーおふくろさん、空を見上げりゃあ・・・・傘になれよとおぉー・・・・二人で歌い上げながら、ラブホに入るのだ。

長回しの引き絵が多い。風景の中で流れて行く人間達をひたすら追跡していく。
けれど見にくさは、ない。舐めるように、守るように追っているからだ。
街の狭さ、電車のうるささ、人の多さ、風の冷たさ、公園の寂しさ、都会の空々しさ、人間のちっぽけさ・・・そんなものの中で頼りなげに動いている人間達への愛情があるのだ。切ない哀れさを感じさせてくれるのだ。
安定しているのはベッドシーンのみ。
カメラもセットも、人物達も一番安心し切って身を任せているのは、何度となく繰り返されるファックシーンばかり。
男と女はアレしかないんよ。
別の神代映画のセリフにあった。
まさにそのままの展開だ。性を至上とした慈愛のモンタージュだ。
人間にはコレしかない。男も女も、行き着くところ、アレでしか救われない。

この映画の登場人物達は、ほとんどがキチンとした身なりをしている。大学の先生やサラリーマンや翻訳家といったちゃんとした分別盛りの社会人ばかりが出て来る。
にもかからわず、彼等はことごとく、だらしない。男と女のことになると、てんで情けなく、皺だらけの幼児に成り下がる。
肩書きも学問も、仕事も知識も経験も、人間の本質には何の関わりもない。込み上げてくる性愛と孤独の前では、唾棄にも価いしない。
暴露映画だ。我々の頽廃極まる真情が、ここまでおどろおどろしく暴かれるのだ。

征子は夫矢沢と家庭内別居していた。矢沢に若い女ができた時点で、離婚は決定していた。それなのに今だズルズルと二人の仲は続いている。追い出しても追い出しても矢沢は戻り、征子もなし崩し的に受け入れてしまう。
浮気を知った夜、征子は膝を抱えて階段まで移動し、後ろ向きのまま階段を昇っていく。壁を一発一発叩きながら。二階の夫の部屋に入るや、寝ている矢沢を蹴りつける。二度も三度も、ベッドから蹴り落とす。誘うような目で下へ降りるので矢沢は追うが、寸前でトイレに隠れ、鍵をかけて、おあずけ、を食らわしてやる。
そんな話をしながら征子は広部のネクタイをグイグイ引っ張る。昼間の喫茶店内で、背広の男に派手目の女がしなだれかかるような、若い方の男が引きずり回されているような、異様な二人が存在する。
別れてからも広部は電車の吊り革を二本絡ませる。自分や征子や征子の男達(離婚の相談をした男達とも征子は成りゆきで寝ていたのだ)との関係をイメージするかのように、地下鉄に揺られながら、吊られた輪ッカを捻りに捻る。
あっあっぁーーあぁーーあああーーー・・・・・・。

とにかくこの映画、向い合って普通におとなしく会話している場面など、全然出て来ない。しゃべりながら歩く、もたれ合いながらしゃべる、イジメながら訴える、あっちこっち彷徨いながら語り合い憎み合い、愛し合う。
人の内面なんて皆、こんなものだ。おとなしく気取っているだけでひと皮剥けば、ここまでグロテスクだ。捻れ合って絡み合って、醜悪そのもの、なのだ。
そんな心象を肉体でもってえぐり出す。大胆なまでに体と体の会話、いや吐き出し合い、ぶつかり合いによって精神の内臓露出を、これでもかとばかりに表現する。
こんな監督は他にいない。ここまで不毛の時代を見据えた作家精神は、もうどこにも見つからない。

エスカレーターで抱きつき合いながら上がっていく男女。
混んだ居酒屋だろうと、絶えずニヤつきながら身をこすり合うようにして会話を続ける男女。
かと思えばふいに男が醒めてみたり、女が泣き出してみたり・・・。
不安なのだ。たまらないのだ。おかしくなりそうなのだ。
どうにもじれったくて、だけどどうしようもなく、けだるい自分自身の有り様なのだ。
男と女は体をくっつけ合うしかない。肌を押しつけ合って、寄り掛かり合って、イライラグズグズ、何にもならないことをしつこく繰り返すしかない。
シラけるか、泣いてみせるか。
時間だけが流れていく。
石灰色の現実ばかりが、容赦なく無為で無力な自分達を勝手に運んでいってしまう。
止まっていられるのは、あの時だけ。裸でむつみ合って、せせこましい空間に時を淀ませている間だけ。

雪に埋もれた大都会。
広部は矢沢の友人松岡と会う。二人はエスカレーターに乗った時点でベッタリ、いや広部は靴の紐がほどけて松岡だけが上へ上へ。しかしバーに入るや酔った松岡は広部を腰の上に座らせ、話の興がのるに従って下から突き上げてくる。ほとんど背面騎上位の体勢でガンガン腰を跳ねてくる。
二人はホモではない。
しごくありふれた会話を交わしつつ、つまり男達は争っているのだ。極めて下賎なレベルで必死にやり合っているのだ。
肌を寄せ合うような探り合い。中年の反撃は悪酔い気味のバックピストン。
こんな演出が平凡な背景の元、執拗に展開される。エキストラの芝居はまったくの普通なのに、彼等だけが今、心中ブザマに揉め合っている男二人だけが、奇妙奇天烈な行動にハマっている。
まるでその奇行ぶりを競っているかのように。
そうでもしなければ、このやりきれない己の心情をぶつけ合えないと言わんばかりに・・・・。
虚無の喜劇か・・・。

「人間という人間が怖い・・女という女が怖い・・・でも君だけは・・・」
矢沢が征子に迫る。今頃、広部は松岡と女のいる店で騒いでいる、と不敵に笑いながら征子を犯す。松岡とも寝たのか・・・?
逃げ出した征子は広部のアパートに転がり込む。矢沢につけられた背中の傷を見せながら、二人は三角ジュースをオモチャのようにこねくり回しながら、とりとめのない会話を続ける。
雪の外。広部は公衆電話から松岡に、もう征子は帰さない、と電話し、なぜか置いてあった三輪車を素足にサンダルでこぎ出す。長過ぎる足で窮屈そうにしながらも三輪車で一周して、アパートに戻る。

人間は怖い。だが、自分自身こそは誰よりも底無しに恐ろしい。
ほっておいたら何をしでかすか。どんな残酷なことをやってのけるか。
だから人は玩具を欲しがる。食べられない、使えない、役に立たない、と分り切っているものに無邪気な愛情を注ぐ。自分の優しさを、つかの間でも感じ取ろうとする。

征子は風邪で寝込んでいた。
「退屈しない人なのね、あなた・・」
「体が弱ってる時は、退屈しないものだ・・」
「添い寝し慣れたって感じがあるわね・・亡くなった方とも、こうして過ごした事があるんじゃない?」
「・・・・・」
広部は黙ってくわえていた体温計を口移しで征子に食わえさせる。
その通りだった。
弥須子は入院中、ちょっとしたことでヒステリーを起こし、広部を罵った。
「自分の体がねぇ、自分のじゃないみたいなのよ!・・熱くって・・広くって・・重たくって・・・」
征子は、ここに居座ると言う。邪魔になったら殺してもいいと言う。あなたは心中しても三日は生き残って添い寝してる人よ、と言う。あなたから赤ちゃんを授かってから出て行こうかしら、と言いながら、執拗に布団の下で足をこすり付けてくる。

退屈は体調とは無関係だ。退屈に慣れる人間であるかどうか、だ。
体が弱っても心は絶えず乱れる。嫉妬に燃える。
死を予感させるほどに衰弱してくればくるほど、精神は休みなく激しく動揺する。怒りに駆られる。先週まで当たり前に動いていた自分の体が、あっと言う間に遠くの別物にされてしまった病人の憤り。
人間はここまで、はかない。信じたくないほど、呆気無くて、もろい。
今現在、息をしているのは紙一重でしかないのかもしれない。その事実を間近で突き付けられれば、嫌でもじっとしていられなくなる。手でも足でも擦り付けたくなる。腫れるくらいにすり合わせないと己の体を実感出来なくなる。一分一秒でも何かと触れ合っていなければ気が狂いそうになる。
悲しい映画だ。絶望的な人間達のドラマだ。
僕も退屈には慣れた。
けれど添い寝には、さっぱり縁がない。
手も足も擦りつけられる人はいない。結局一人で、もがきまくっているしかない。
僕は彼等より悲しいのだろうか。
彼等より幸せなのだろうか。

広部は矢沢に会う。彼は離婚届けを渡し、旅に出ると言う。けん玉をしながら変に明るく振る舞う。自転車に乗ったまま矢沢の周囲をグルグル回って話し終える広部。
帰ると征子は翻訳の仕事中・・・のようで実は女の顔を何枚も書きなぐっていた。
二人は交わる。征子はバックから責められ、胎児のように丸まっていく。太腿にふくらはぎに、顔を埋めるようにして丸く封じ込められていく。
矢沢は、征子との仲を疑って松岡を殺したらしい。
夕日の差し込む部屋。まどろみの底。
「誰でもよかったみたいね」
「何が?」
「これで子供ができたら・・」
「俺の子だよ」
「私の子よ・・・」
征子は部屋を出て行く。
「帰ってこないつもりじゃないよなぁ?・・・なあ?」
このセリフの途中からもうスタッフタイトルが画面下からせり上がってくる。
戸惑いの表情のままの広部。放心して少し傾いた顔がストップし、エンドタイトル。

唐突な終わり方である。だからこそ、この異色作にはふさわしいエンディングである。
いつ始まって、いつ終わったのか。
何が起こって、何がどう解決したのか。
だが、現実には、始まりも終わりもない。すべての起こってしまったことに明確な結着など、つきはしない。
後に残るのは喪失感だけ。わびしすぎるほどの空虚感だけ。
恋人を失った喪失感。愛を得られない空虚感。
自分を見失った喪失感。愛し方を忘れ、セックスに溺れるだけの空虚感。
我々は三十年前からそんな世界に生きている。
とんでもなく、掴み所もない、疎外の果てで呻き合っている。
唸り続けて、流行り歌に心情を託して、安っぽいドラマを騙し騙し繰り返して・・。
生きるとは、こんなにも、うざったいものだろうか。どこまで人間は、みっともなく、内へ内へと這い落ちていくしかないのだろうか。
この映画は、始まって終わったのではない。すでに、あった映画だ。
我々はどこにも進んでなどいない。そこでいつまでも、戸惑って、へたり込んで、置き去りにされているばかりなのだ。
誰に?愛に?永遠に?
我々は何も出来ない。アレと同じ、ただただ、ただただ、ヤってヤってヤったつもりが、何ひとつやっちゃいない・・・・






















テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
やるせなさの極地・・映画メモ「櫛の火」 AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる