AV落人辻丸の言霊〜殉教録〜

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zoom RSS 生け贄にして、刃たれ・・映画メモ「薔薇の葬列」

<<   作成日時 : 2006/01/21 13:10   >>

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69年 脚本監督松本俊夫 出演ピーター 小笠原修 土屋嘉男 東恵美子 内山豊三郎 太田サー子 城よしみ 卍太郎 秋山庄太郎 粟津潔 蜷川幸雄 藤田敏八 八木治郎

”われは傷口にして刃
 いけにえにして刑吏”
霊柩車の走り抜ける道を、腕を組んで歩く、男プラス女のような男。二人は、たった今激しく交わってきたばかりだ。

男であり、女。
女であり、男。
この映画は真実を求める迷路だ。妖しさに満ちた輪廻の世界だ。そしてまぎれもない、現実の世界だ。
1969年の現実。三十七年前から続く、東京の現実。
だが、我々は傷口にして、刃たるか。
いけにえにして、刑吏たりえているか。
男であり、女はいる。女であり、男もいる。
しかし刃はどうだ?何に対しての、刑吏といえるのか?

夜の新宿駅東口。
ビーチボールで遊ぶフーテン達。
会社帰りのサラリーマンの手の平に、ニコニコ顔で椿印のハンコを押す。ただそれだけ。

今の東口に、ビーチサッカーで遊ぶスペースなんてない。フーテン族みたいな、働かずに遊んでばかりいる輩なんてどこにもいない。
皆、働いている。あきれるほど真面目に、仕事している。カネにもならないようなことを面白がってやってる奴なんて、一人だっていない。
ビーチバレーだ。ティッシュ配りだ。商売に買い物に待ち合わせだ。
ストリッパーもどきの格好で砂まみれの勝負に青春を賭けるスポーツウーマン達。フェチの世界。
ティッシュ配って購買社会の前線兵士。欲望の世界。
売って買ってヤって生きて・・・人間の世界。
どちらが平和なんだ。新宿は、変わったのか。

突如挿入されるゲイボーイへのインタビュー。
風景もドラマも圧倒する、倒錯のアウトロー達・・・なんてたまげているのは、フツー気取りの我々だけだ。
好きだから・・・。
生まれつき・・・。
オンナになった理由をカレラはあっさりと、こう答える。

エディはあるゲイバーのナンバーワンだ。
黒人の客と深夜、酔っ払ったまま歩いている。追われる過激派と、暗い街角ですれ違う。
その夜の新宿争乱の記録フィルムが流れる。歪みっぱなし。音声途切れっぱなし。機動隊ばかりがやたらと画面を占領している。
自主映画製作のグループらしい。彼等は苦労して撮ったであろうフィルムについては一言も語り合うことはない。
「あーあ、マリファナでも飲みたいな」
「目薬って手もあるんだぜ」
本当に目薬を口にさす、リーダー格のヒゲ面男。
「飲んでますか?」
ミフネのコマーシャル。

政治とクスリが同居した季節。
闘争とCFが一緒に流行った時代。
今、我々は何と同居しているか。我々の間で、とてつもなく流行っているものは何か。
政治もクスリも遠い。闘争もCFも、忘れられた。
ビデオもDVDも、ネットも写メもお手のものだっていうのに。
我々の今は、歪んでいる。その声は、途切れ途切れて、誰も聞いちゃいない。

街頭演劇。
「気持ち悪い・・・」と道行く女。
背広に白手袋、白い腕章の五人。まるで立候補者。白い箱を首から下げる。それは骨箱。左手を掲げたまま一列にゆっくりゆっくりと進んでいる。一切無言。全員マスク、一人だけガスマスク。倒れたままの男。
「カッコいいじゃん」と野次馬。
エディは眉をしかめて眺めている。
死と滅亡を匂わせる白日の劇場。
エディを記憶が襲う。下腹から黒い血を吹き出して絶命する中年女の残像。

三十七年前。
すでに死は滑稽のイメージだったのか。ガスマスクが象徴する戦火のメッセージは、キワモノでしかなかったのか。
人を殺した人間にしか、わからない。敗戦国のくせに、たった二十四年で、キモく見えるだけ。
変わらない。
今なら行進することも、地面に倒れたままでいることさえ叶わないだろう。
見物人であり続けるだけの大衆に、わからせるはずが、ない。
平和のための殺戮を奨励している国家が。好戦で稼ぐ、支配階級が。

街頭占い。ヤクザ映画館。チンピラにからまれたエディは逃げる。
ヨーロッパ映画「アポロンの地獄」(監督P・パゾリーニ)のポスターだらけの壁。
父を殺し、そうとも知らずに母を抱いてしまった若きオイディプス王の神話。
ナンパオヤジを避けて、地下ギャラリーに落下していくエディ。
そこは、醜く捻れ、混濁した顔面だらけの前衛アート展。
奇妙なイメージカット・・・全裸男達の背中の列。尻、尻、尻、尻に薔薇。
ゲバラと呼ばれるアングラ映画監督。革命家面の彼は、立派な付けヒゲ。

仁侠道も、ギリシャ神話も、アバンギャルドも、薔薇族も、革命も・・・。
付けヒゲみたいなものだ。ポスターと同じ、じきに剥がれてしまうんだ。
それでも地獄を見たいのか。
人は、憧れて、真似るだけか。

ベッドシーンのメイキングカット。まるでAVだ。
裸の女優?にスタッフがすぐタオルを渡すところなんてソックリだ。コンドームも偽似ザーメンも、潮吹きも不要の絡み撮影。
エロティシズムは、どちらにあるだろうか。どっちがより、ワイセツだろうか。
国家はもはや、AVなどには嫉妬しない。

エディの店のママ役にインタビュー。
色々あるから。
私がああだこうだとは言えません。
ご想像にお任せします。
サラリとかわしてみせる、貫禄のゲイ達者。

AVにも色々ある。あり過ぎる。
ああだこうだと言える余裕さえない。
けれど、ご想像には任せたくない。AVだけじゃなく、何ものも、誰にも、好き勝手な想像なんかに任せたくない。
我々は、想像力こそ、失ったから。この三十七年間で、最も枯らせてしまったものだから。
死への想像。性への想像。人間への想像。生への、想像。
我々は、なにも知ってはいない。

麻薬取り締まりのガサ入れ。ママの情夫である男と黒人の二人があわてふためくコマ落としギャグカット。笑わせる。
エディの回想。親子三人の写真。父の顔の部分だけ、黒く焦げ抜かれている。蒸発してしまって顔さえ覚えていない。
「父さんのことなんかいいじゃないか!僕がついてるだろう?」
まだ少年だったエディの言葉に母は笑う。思いっきり笑ってみせる。

笑わせることと、笑われること。
犯罪はギャグに出来る。人間をやめさせる魔のクスリも、喜劇の小道具になる。
だが、母の笑いは、ギャグにはならない。底無しに笑われた息子にとって、喜劇の思い出とはなりえない。
親は、悪魔を越えているから。人間を永遠に縛り付ける、運命のキャスティングだから。
笑った者は殺される。親だからこそ、許されない業が、いずれ待っている。

完璧女装のゲイボーイ三人組が、男子便所で連れション。
ママと情夫の痴話喧嘩。情夫はエディと関係していたのだ。首に白マフラーのやくざ者と、堂々たる日本髪に着物姿のゲイシャおとこ。
ママはののしる。
「ふん、惚れてるなら惚れてるって、はっきり言やいいじゃない。卑怯者、それでも男か!」
「それでも男か、だと。ほう・・・それはこっちの言うセリフじゃねぇか」

ゲイボーイは男子トイレに入るしかない。どんなに着飾っても、男であることが尾いてまわる。
なりきれない、もどかしさ。生きづらさ。
彼等だけか。ただ我々は、彼等をあざ笑っていればいいのか。

アングラフィルム。ゲバラに女にデザインタッチの顔、顔、顔・・・がなりっぱなしの轟音のようなBGM。
目も耳も痛くなるだけの無意味映像がやっと終わる。ゲバラのグループに紛れているエディとその仲間達。ゲバラ監督は言う。
「でもさ、何か感じるだろ、体でさ」
「そうねぇ、ラリッてるみたい」
エディの返事をきっかけに、たちまち始まるクスリパーティー。

何か感じるだろ、か・・・一人よがりの決まり文句。アングラ個人映画なら許せる。
昨今は、商業映画でこれをやっている。
何か、伝わるでしょ、ねぇ、いいでしょう、わかるでしょう?ねぇ、ねぇ・・・。
邦画も萎えてしまったのか。ラリってるのが、当たり前になってしまったのか。
痛くも痒くも、毒にも薬にも、なりゃしない。

マリファナ愛好者へのインタビュー。
石の上に置いた椅子に乗ってる気分・・・ポワンポワンと浮く感じ・・・感覚が麻痺して怠惰になるだけ・・・陶酔もない。時間すらない。まったく自分がない。だのに後で人に聞くと色々やってる、それが面白い。僕はそのことに何も求めてない。酒と同じだろうね。酒より飲みやすい。時間もかからない・・・。
そしてトランスパーティーが始まる。お決まりの乱交パーティーへと発展する。
”おお、薔薇たちの帝国”

僕は酒すら飲まない。煙草も吸わない。香水も使わない。お香もたかない。
でも女の香りは、欲しい。女にすべてを求めたい。
だから僕はトランス出来ない。乱交もやらない。
自分の時間から、逃れられない。

仲良しコンビが揃って美容室で居眠りしながらパーマ。
エディはママと遂に大喧嘩する。突如、互いに腰の銃を抜いてガンマン風のピストル対決がスタートする。
漫画調の吹き出し。「オカマ」「パンスケ」「インポ」「オ××コ」
取っ組み合いになる。「やったな、畜生!」「出てけ!このオタンコナス」
コマ落としギャグシーン、再び。

ふざけている。遊んでいる。人をマンガにしている。
人間の諍いなんてこんなものだ。髪振り乱しての争いなんて、コントなだけだ。
それを人間は繰り返す。死ぬまで飽きもせず、畜生のままでいる。

東京タワー?エディとゲバラがガラスのエレベーターで昇っていく。一切音もなく上へ上へ。舞い上がっていく大都会の白ちゃけた風景。
「怖いわぁ、何もかも、輪郭がボケて」
「輪郭なんて、しょっちゅう変わっているのさ」
「何かボソボソするでしょ、でももうそこには何もないの」
「君だけじゃないよ」
「あるのに見えないの。それともどっかに消えちゃうのかしら」
「初めから無かったとしたら」
「初めから」
「・・・そう、蜃気楼みたいに」
「だったら何を信じるの」
「さあ・・・」

あるものなんて、ない。すべては蜃気楼。初めっから存在していない。自分も、他者も、目に見えているものも。
それは怖い。本当に怖い。
しかし信じなければならない。
誰もが今こそ、無を信じなければ、何も始まらない。
これが僕に残された思想の、はかない輪郭だ。

最上階。幸せそうな親子連れ。平凡な家族。
エディは思い出す。
美容室を営む明るい母は、次々と男を連れ込む淫蕩な女。
鏡台の前に正座して、少年エディは涙する。
”わが生まれし日
 亡び失せよ・・”
口紅を塗る。鏡の自分に頬ずりする。見つかって母に延々ぶたれる。

エディは母を棄てた。母という最も根源なる女を否定して、自分が女になった。
自分の性も棄てた。母を弄ぶ男共と同じ性を亡ぼした。
自分を失うことによってしか、生まれ変われない者もいる。どんなにぶたれても、従えない宿命の者もいる。
涙しか、寄り添ってくれない、孤独な魂が、ある。
僕は、イジメられっ子になった時、自分を亡ぼした。人間を棄てた。

安保反対、いや協力の署名とカンパ。無視して行くママ。
霊柩車の走るラブホテル前。エディと情夫が出て来る。ママの姿に怯えるエディ。
回想を振り払うかのようにビールをコップ一杯あけるエディ。まだゲバラと一緒だ。
「どうかしてるわね、今日のあたし」
「疲れてるのさ」
「ずうっとずぅーっと、人生から置いてけぼり食っちゃったみたい」
「”生涯の本質的な部分を、歩くことに費やして、しかも歩く人ではないということも、あり得る。また逆に、結局少ししか歩いたことがなく、歩くことが大して好きでもなく、上手に歩けた試しもないのに、それでも異論の余地なく、歩く人だということも、あり得る”(クレジオ)」

僕は嬲ってきた。生涯の本質を女優嬲りに費やしてきた。
でも女優以外の女は嬲れなかった。嬲ることが大して好きでもなかった。上手に嬲れた試しもなかった。
僕は、嬲る人か。嬲る人ではないのか。
人生からの、置き去り。捨て子の詩。

ある日、とうとう少年エディは母の連れ込んだ男を包丁で刺した。母も刺した。もう息絶えているのを、何度も何度も滅多刺しにしていた。
今、ゲバラと交わるエディ。
”聖性への道は狭い”

聖なる性。
性における聖。
殺すことによってしか己の聖を守れないのが、悲しい人間か。
交わることしかあり得ないのが、人間の哀しき性か。
どちらも狭い。小さい。脆すぎて、掴めない。

エディ役、ピーターへのインタビュー。
主人公の性格がわかる。
ゲイボーイを綺麗に撮ってくれるというので。
ラブシーンはもう、監督さんの言う通りにやってます、と苦笑。
日教組追放の街宣演説。
エディ出勤。フランス人形のような髪は、カツラ。

ピーターも父親と別れたらしい。
綺麗に見られたいという人生を生きてきた。カツラは演説だ。自分を宣伝し、自分を監督する。
僕等の映画は、僕等のカツラは、誰にわかる?だれが教えてくれる?

エディは警官に追われていた血まみれの過激派を助ける。
「でも、なぜあんな乱暴をするの?」
「国家権力を打倒するためです」
「それにしたって、暴力はよくないと思うわ」
「当面の問題は、暴力を容認するかどうかということではなく、自分の加担している暴力が進歩的であるかどうか、そして暴力を無くす方向に向かっているかどうか、あるいは暴力を永続させる方向に向かっているかどうかということです。そして最後に、それを決めるためには、犯罪をそれ自体において、人が誤って純粋道徳と呼んでいる道徳によって裁くのではなく、状況の論理の中、体制の力学の中、それが属する歴史的全体の中に、位置せしめなければならないということです」
「あら大変、遅刻だ、行かなくっちゃ」

僕はAVを容認していない。
自分が加担しているAVに、進歩的なものは少ない。AVは、無くならないだろう。かといって永続させようなどと誰も思って関わってはいないだろう。つかの間の食い扶持。
AVを、純粋道徳などで裁いても意味はない。状況はAVを求めている、体制はAVを黙認している、歴史はAVをわざとらしく抹消する。
しかしAVは、AVのまま位置する。遅刻が大変なくらいに、当たり前に位置する。
国家権力は、打倒されない。
我々は、モザイクに、打倒されている。

エディ達仲良し三人組は、嫉妬にかられたママに雇われたズベ公三人組と新宿でモミクチャの喧嘩をする。当然、コマ落としサービス。
「やる気か、このオカマ!」
「何さ、ただの女のくせに!」
情夫は激怒してママを棄てる。ママはウェディングドレスをまとったまま眠るように自殺してみせる。
傍らには、両目に釘の刺さった雛人形。
墓地に集うゲイボーイ達。強風の中に響く読経。その辺りはひどい地盤沈下。泥水に沈んだ墓。地に埋もれた仏。エディは呟く。
「そのうち日本中全部、海の底に沈んじゃえばいいのよ」

エディは沈んだのか。ゲイボーイは、沈んでいくことなのか。
僕も沈んでいる。泥にまみれて、骨になる前に、埋まっている。
それでも、こう叫ぶだろう。もし誰かに「このAV男優!このエロ野郎!」などと罵られたら。
何を、ただの人間のくせに!

東口。トイレットペーパーを凧のように遊ぶフーテン達。
「ゲバラ、何考えてんのさ」
「出口のことさ・・・」
「出口・・・」

出口なんていらない。考える気もない。
凧で充分。昇って、落ちて、揺らいで、つぶれて・・・。
出口を見つけようなんて、一般人の、まやかしだ。

ゲイボーイへのインタビュー、その二。
結婚?しないつもりです。今さら男になれないから、もう・・。
将来の夢?別にありません。何も考えてません。今のところ・・。
ゲイボーイであること?あんまり幸せじゃありません。何となくなっちゃたの・・・。

得たものと失ったもの。何となく、そうなって、何となく生きてしまう。
皆、そうじゃないか。誰も戻れやしないじゃないか。何も考えてないじゃないか。あんまり幸せでもないじゃないか。
僕は何となく死ぬ。
何となくAV男優だから、夢など何もない。

エディは二代目のママになり、情夫と心置きなく愛し合う。
だが、エディが「父帰る」(菊池寛)の単行本に挟んでもっていた古い写真を、情夫は偶然見てしまう。
家族の写真。焼き抜かれたエディの父親は、情夫の顔だった。
驚愕に震えた父はナイフで自らを殺める。鮮血の底で絶命する。
すべてを悟るエデイ。昭和元禄のオイディプス王。
彼もまたナイフを手にする。鏡に写った自らの目を刃で突き刺す。呻きながら、血に浸されながら、もう片方の目も刺し貫いてしまう。
淀川長治、登場!
「怖かったですねぇ、なんていうことでしょう。この呪われた人間の運命、しかも、残酷の中に、笑いまで込めた、本当の異色作品でしたねぇ、それでは次の作品、御期待下さい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」

運命を前に、己の目を潰す人間。
それは悲劇か。いや、喜劇だ。大スペクタル喜劇だ。
だからサヨナラ、サヨナラなのだ。サヨナラだけが、人生なのだ。
わけが、わからなくなってきた。
なぜ、死ぬ必要がある。父子相姦のどこが悪い?
悪くはない。誰にも悪いはずはない。
それでも父は死ぬ。息子は両眼を亡ぼす。
恐ろしいから。
法より、暴力より、権力より、大衆より、この運命を呼び寄せた自分自身が恐怖だから。
怯えるものは去るしかない。サヨナラするしかない。
モラルに負けたというのか?
違う。思い通りになったから。あまりに生々しく、念願が叶ってしまったから。
生きるとは、こういうことだ。自分に忠実に生き抜くとは、ここまで残酷で、お笑いなんだ。

ナイフを手に、路上に彷徨い出るエディ。
白昼の一般人達が、血の目をした、男でも女でもない、孤高の王を取り囲む。
笑い顔。呆れ顔。無表情。驚き。子供連れ。通行人。野次馬。エキストラ。白い顔。漂白の顔。
エディはナイフを落とす。血に染まった細い長い、刃・・・。

エディは見られている。
同時に、エディにしか見えないものを見据えている。
エディは傷ついた。
同時に、エディの姿が、一般人達を、我々を、醜くえぐる刃になった。
ゲイボーイのエディは1969年の、生け贄だ。
同時に、時代を日本を捕縛する、神々しい刑吏だ。
見られるのではなく、見ること。
傷つくのではなく、刃と化して切り裂くこと。
自ら生け贄となって、人柱に立って、神話を貫くこと。
誰に、出来る?
誰かが、出来る。
誰かが、呪う。
僕は、見られている。傷ついている。生け贄として生かされている。
今度は、僕が、2006年のAV男優が、自らをえぐり取り、その果てを一人、彷徨い出る番だ。

”個人の精神は
 相つぐ否定によって
 自己自身の
 絶対に達する”

欲望は否定である。社会を秩序を良識を他人を、そして己の存在すらも否定するのが究極の欲望である。
では、彼等は奴隷か。欲望に支配されただけの哀れな家畜か。
確かに彼等は殺される。一般社会の生け贄として抹消される。
だが、彼等の呪いは消えない。彼等の悪霊は、軽薄な欲望にうつつをぬかしているだけの普通人達を、激烈に犯してみせる。
ゲイは欲望だ。AVは欲望だ。
我々はもっともっと否定しなければならない。生け贄に祭り上げられるまで、自己を否定し尽くさなければならない。
呪いのために。
悪霊として永遠に取り憑くために。

僕の精神は、底知れない否定によって、僕自身の、絶対に・・・そこは暗黒だ、無明だ、構いやしない・・・辿り着くだろう。





















 


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